よく、講演などで『シンプルに考えよ』という言葉が使われます。実際、昨日僕が受けた心理学の講義でもその言葉が使われていました。別に昔から、その言葉は間違っているとは思っていませんでしたが、本気でそう思っていたわけではありませんでした。なぜなら、まだそのことを実感する体験がなかったからです。ただ薄々そのことに感づいてはいて、それがさっきやっと腑に落ちた感じがしたので書き記したいと思います。

    そもそも、逆に、シンプルに考えないってどういうことでしょうか?

一番分かりやすい例は『損得を考えてしまう』ことだと思います。

例えばスーパーに買い物に行きますよね?そん時にデザートが売っていたとします。食べたいです。ですがお金が勿体ない気がします。別にお金に困ってるわけでも、何か買いたいものがあるわけでもないのですが、冷静に考えると、別にこれを食べたところで健康になるわけでもないし、食べなかったらその分お金も浮くし、得なのではと考えます。ですが食べたいのでしばらく悩みます。そして結局買わずにスーパーを出るのです。

僕に言わせれば、これはシンプルに考えていません。シンプルに考えたらこうです。
食べたい→お金ある→買う
または
食べたい→太りそう→我慢する
こうなります。
食べたかったら食べればいいんです。そこで深く考える必要はありません。ただ、その前の段階で『今後出費がかさみそうだから節約したい』と決めているのであれば、そりゃ買わない方がいいです。ただそんな目的もなくただなんとなく損得を考えて迷っているのであれば、やりたいことをやる、すなわち買って食べればいいんです。だって食べたいんですもの。

あと、他の例は、奢ってもらう時
奢ってもらった時に、なんか悪いなーと思うと思います。それ自体は別に普通のことなんですが、度がすぎると、相手にかなりの負担をかけてしまったと感じ、自分もそれ相応のものをお返ししなければと感じ、頼んでもないのに無理にお返しを用意して相手の機嫌をとるかのように接してしまう可能性があります。

もっとシンプルに考えるとこうです。
奢られる→嬉しい→今度何か私もー
奢った相手も 
奢りたい→奢る
相手もこう考えてることがほとんどなので、別に返礼を期待してるとかそういうわけじゃないはずなんです。少なくとも奢る時は。それなのに変に相手の事情を汲み取って、妄想して、複雑に考えて接するから、奢られるのが嫌になったり負担に感じるのだと思います。


シンプルに考えるってのは簡単そうに見えてとても難しいことだと思います。なぜなら社会が複雑にしてるからです。

シンプルに捉えたものというのは、つまり、事象をありのまま捉えた姿ということになります。先入観も固定観念もなく!です。ですが、社会はあらゆる偏見や常識であふれているので、その中で育った僕たちが、そんなフィルターを通して情報を得ている以上、シンプルに考えるということはとても難しいと思います。

でも多分できます。だって他のより簡単そうですもん。常識を疑えっていわれたってそりゃまぁ難しいと思いますが、シンプルに考えろっていわれるとできる気がしませんか?シンプルに考えることは本来誰でもできることですもん。  少なくとも皆んなが小さい頃は出来てたかと。

『目的を明確にしろ』てものとも似てますね。シンプルに考えたら、原初のやりたいことが残りますから。


シンプルなものって当たり前って思われるかもしれません。そんなの分かってるよって思ってるかもしれません。でもそれは、大体、様々な理論によって忘れられてることが多いと感じます。なので、何か問題が起こった時は最初に立ち返って『シンプルに考え』て見たら、上手くいくかもしれません。
さきほどバイト中に宗教の勧誘をされました。
変にそれに付き合おうとした僕も僕なんですが、はっきり言ってとても迷惑でした。

その人の話しを聞いていると、一見悪い人ではなさそうですが、どうやら勘違いしていることが多く見受けられたので、それに対して話していきたいと思います。

蕎麦屋でバイトしていた時の話です。
突然席に座っていた男性(58)が店長に声をかけてきました。『何かパワースポットとか興味ありますか』と。店長は普通にないと答えます。その後も何度か尋ね、手相に興味はないかと話をしてきます。店長はないとはっきり答えましたが、僕の方にも回ってきて、僕は昔ちょっとやってたということだけ伝えました。そしたら席移動していい?と聞かれ、僕の近くの席に移動してきて、話をしてきます。その話の内容はざっとこんな感じです。
・無料で手相見てあげるイベントがあるけど参加しないか?
・自分は58歳で、医師で江別の介護施設で仕事をしている。
・いわゆる宗教的なやつをやっている
・とにかくその宗教が信頼できるアピールをしてくる(公安が認めている、他とは違う、会費は全て募金してる、若い人も多い、教祖の人は新聞によく出る有名な人で、起業家でもあり教祖でもあるすごい人だ) 
ざっとこんな感じ。
途中何度も、笑いながら『決して胡散臭いとかそういうのじゃないから』と繰り返してきた。
そしてやたらと僕に手相占いをしにきてもらいたがってる。そんなに言うならお前が今僕にやれよと思ったけど、どうもその男性が占いをするわけではないようだ。要するに宗教勧誘のため、手相占いを餌に僕を釣ろうとしていたわけだ。

僕が癪に触ったのは、その人がはっきり目的を言おうとしないことだ。手相を見せに来ることをやたら勧めてくるばかりで、それとその宗教との関連を説明しないし、何でそんなことやってるのか聞いても言葉を濁すし、目的があるでしょ?と聞いたら、『そりゃあ、まぁ、ありますよ』だって。じゃあ言えよ!!!!!はっきりいえや

そしていよいよ具体的な日にちを言って僕に勧誘してくる。もっとはっきり興味ないっていえばよかった…。かなりやんわり断っていたから、その人は何度もしつこく誘ってきた。結局行きたくなったら連絡すると言うことで、電話番号だけもらって帰ってもらった。

その人は一見いい人そうだった。別に何かを強いるというわけでもないし、自分の身分もちゃんと言っている。そして、やたらと『急に来て、警戒してるでしょ?』と言ってくる。そこで熱心に怪しくないことを伝え、終いには『自分の社会的身分を信用して、ここは、ぜひ』とか言ってくる。

いやそうじゃないでしょ!!!!!

例え自分がどんな人間か説明したところで、あってすぐの人間をすぐ信頼できるわけないでしょ!!!決して怪しいものじゃないだぁ?それを決めるのはこっちなんだよ!!!

そもそもこの人は一つ間違っている。『警戒してるでしょ?』と、一見客観的に自分を見て、相手の立場に寄り添って考えている雰囲気を出してるけど、こいつは分かってても解ってない。相手が警戒してるだろう事は予想できても、いきなり本当に話しかけられてどれだけ怪しく警戒してしまうのか解ってない。解ってたらそんなことしない筈だ。どんだけ怪しくないって言われたところでまるで説得力がなかった。知ってんならやめろよって感じだ。1日で信頼できるわけないでしょ。

そこで思ったのは、こういう人は自分のことしか考えてないということだ。この人は勧誘することしか考えてない。一見こっちのこと考えてるように見えても、それは単に寄り添ってるアピールをして警戒心を解いてもらうためだけであって、こっちの都合など全く考えてないのだ。目的を果たすためだったら、自分に不利になるようなことを決して言わない。その目的を隠して、一見僕らの利益になるように見せかけているのだ。だが偽善もいいところだ。詐欺とやってる事は何も変わらない。目的のために平気で人を騙す。

ついこの前もこれと似たことがあった。地下鉄で待っていたら、60ほどのおばちゃんが急に話しかけてきて英語を教えてる話をしてきた。そのおばちゃんも、『急に話しかけてきて、何だこいつって思ったしょ』と言ってきた。全くその通りだよ。じゃあやめろよ!!!その後それにもしっかり対応してくれて親切だねーって持ち上げてきた。その時は自分も(そっかなぁ)って思ったけど、今思えばその発言はどれも自分のことしか考えてないからこそ出てきた言葉だと思った。不審なおばさんに丁寧に対応する事は良いことだと刷り込んで、自分を正当化しようとしているのだ。
その後はおばちゃんの話し相手をさせられた。別に向こうが話をしたいだけで、こっちはそんなこと微塵も思ってないのに一方的に話を続けてきた。そしてこっちが理解できなかったら、『あなた分かってない』とか言って、あたかもこっちが悪いかのように攻めてきた。こっちは話しかけられて無視するわけにもいかないから、ずるいなーと思った。

そんなこんなで、要するに自分のことしか見えてないやつの相手をするなということだ。容赦なく断っていい。断るのが相手にとって悪いと考えているようじゃ生きていけない。こっちも勧誘などで迷惑してるのだから。申し訳ないという気持ちを一切排除して、自分の意見をはっきり表明することが大切なのだ。



自然に生きることの素晴らしさに最近気づきました。

人間は余計なことを考えず、自然に生きるべきです。

人間だって、哺乳類、生き物ですから、本来は自然に生きるものなんです。

やりたいことはやり、やりたくないことはやらない。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。

そうやって自分の心に出来るだけ正直になったら心が楽になります。

ただそれを容易に許してくれないのが、社会で生きるということです。

生きていくにはお金がいるし、お金を手に入れるには仕事をしなくてはいけない。仕事には人付き合いが欠かせないが、嫌いな人がいても、その人と付き合わなければならない。
 
そういう状況の中、ひたすら耐えていると、ストレスで生きるのが辛くなります。もうやめたい、でもそうすると怒られる。怒られたくない。やめたら親が悲しむ。迷惑かけたくない。など

そんな状況から脱するには、それこそ、僕は自然に生きようとするがとても重要だと思います。



違うな、僕の言いたいことはちょっと違うな。

皆んなも自分の心に正直に生きていけたら楽なことぐらい分かってると思うんですよ。そりゃやりたいことやってれば楽しいでしょうね。

でもそれだけじゃないんです!!

自分に正直に生きてたら、相手も楽なんです!

例えばですよ?ちょっと怖い先輩がいたとします。そこで自分が、(話しかけるの怖いなー。何話したらいいんだろうなー。失礼の無いように話さなきゃなー。変に気に障る事言ったら怒るだろうなー)なんて考えて、びくびく怯えてたら相手はどう思うでしょうか?自分のこと深く知りもしないのに、変に怖がられてそれこそ嫌だろうし、こっちから話しかけたいと思うはずもありません。そうしてどんどん嫌悪的になっていくんです。

ここでは余計なことを考えちゃいけません。話す機会があった時に自然に話すのがいいです。そうして話していくうちに相手のことも分かっていくはずです。そこで思ったことを正直に言えばいいんです。『最初は怖そうな先輩だなと思って話しかけるの躊躇ったけど、全然そんなことなかったです』ってな感じで、思ったことを素直に言っていれば相手は警戒することはありません。そこで、変に褒めて機嫌をよくしてもらおうと思うと、相手にはそれが本心じゃないってことが伝わっちゃいますから、嘘ついてるように感じてしまいます。

こっちが素直にならないと、相手も心を開いてくれないんです!!!


そしてもう一つ、変に自分にプラスになるように考えていいことは何一つないってことです。!!
そういう潜在的な意識を人は感じ取ってしまいます。そして結果的に悪い方に転がるのが常です。

例えば、新しく大学に入学して、友達をたくさん作りたいなって思ったとします。そう思うこと自体は自然なことなのですが、それが違う方向にいって、変に、大学で人脈を作っておかなきゃってなると、事は悪い方向に行きます。

人脈を作ろうといろんな人に話しかけようとしますが、そんな考えで楽しく会話できるはずもなく、変に焦って面白い話をして盛り上げようと、自分の武勇伝とかを一方的に語って空気を悪くするか、何を話したらいいか分からなくなって、気まずくなるかのどっちかに転ぶに違いないです。相手も、何も話すきっかけもないのに突然声をかけられて驚くだろうし、無理矢理迫ってきても警戒します。

これは自然に生きているとは言えません。


僕にも思い当たる節があります。

友達3人とラーメンを食べに言った時です。他2人の友達が僕にお冷を持ってこようとしてくれました。普通は、ありがとうと言っておけばいいものを、僕は変に『僕も何かしなきゃ』と思って皆んなの分のはしを机に置きました。ただ、別にはしが取りにくい場所にあったわけでもなく、これからご飯を食べるわけでもなく、むしろテーブルが汚いからテーブルに置かないで欲しいぐらいなのに、変な考えのせいで、友達には『は?意味わかんない』と言われました。

この『僕も何かしなきゃ』には、潜在的に自分に都合の良い思いが入っています。それは相手が何かしてくれたんなら、こっちも何かして恩を着せ返そうという、黒い気持ちです。 要するに偽善的な行動でした。 

これは些細なことですが、多くの事柄に共通するものだと思っています。

自分の利益になるようにやったら、ろくなことにならない。
変に考えてもいいことはない。 

もっと自分の心に正直に、そして考えすぎずに純粋にやりたいと思ったことをやってください。

人間は元来悪いやつじゃありません。本当は、困ってる人がいたら助けてあげたいって思うものです。それを、変にその後の見返りを求めたり、そうすることのメリットとかを考えるから、他の人には良く映らないのです。

心のままに生きる。思ったことを正直に伝える。

それが自然に生きるということ。

かつて、老子が言った無為自然というのも、こういうことだと思います。