昨日、アニマルホメオパスのakiちゃんと湘南でゴハンを食べていて
あ!と気がついたのだけれど
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モナカチョコが美味で美味で・・・
ゴマのプラリネもおいしかったわ![]()
って、そこじゃない!!
自分のことを分析するときに、私はいろいろなツールを使うのだけれども
(数秘術とか、ホロスコープとか、九星気学とか四柱推命とか心理学とか)
逆に相手について語るときには、
まったくこういうのを使っていないのよね~。
見て、しゃべって、読んで、感じた事を
自分の中で生まれた表現にしてから、喋る。
自分を測るのに、あれほどツールを使いまくる
(=ツールを持ってるし、使える)のに
人のことにはひとっつも使わないのはなんでだろ?
と思ったら、
自分の感じ取ったものがツールを通過するとズレるから、
ほんの少しいびつになる。変質する。
似て非なるものになる。
そこにどうしても納得がいかないので、
自分の言葉を試行錯誤しながら、鱗のように重ねて語っていくしかないのだわ。
と気がついた。
ん? 「気がついた」 というのはちょっとズレてる・・・。
ってゆーか、「思い出した」だわ。うん、こっちの方が近い。
はっきり認識してなかったけど、わかってる知ってるから
ツール使わなかったんだもん。
すでに流布している、既製品の表現は
どれだけ似ていようとも、心地よくフィットしてくれない。
なので、ここに肉薄する努力を怠って
安易なものは使いたくないなぁと思うのです。
せっかくの『綺麗でホンモノの答え
』がそこで壊れちゃうから。
ということはですよ?
他人のことでは答えがすぐ見えるのに、
自分には安易なツールを使いまくっている=見えてない というのは
一体どういうことなのでしょうねー?不思議っ。
ちなみに、私がヒトサマの置かれた状況を解説するときによく使う方法は
『料理』
です。
この間お話した、悩めるお母さんを指して
「あなたは、食べつくして、ソース1滴すら残っていない幕の内弁当」(酷☆)
と言ってしまった・・・![]()
ついうっかり言ってから
「いくらなんでもそれはどうよ?」と思いましたが
意外と「ああ~~!!!成る程!!」と好評でした(笑)
お母さんだからか?
なにごとも、安易・適当はダメよんってことです。
自分にとって大事なことなら、なおさらだわ。(自戒ね
)
