前回の続き右矢印おしっこが出た

 

命のろうそくが今にも消えそうになったとき、一筋の光が射すようにおしっこが出ました。

 

 

そこからは、今までの時間を取り戻すような回復ぶりで

毎日面会に行くたびに、

体につながっていた管が順番に外されていきました。

 

 

 

 

まるで生死のベクトルが入れ替わったみたいに…

 

 

あまり面識のない看護師さんからも

 

『ホントに○○ちゃん頑張ってる。生命力すごい。よく乗り越えてくれた』

 

 

と言ってもらったのが、とてもうれしかった。

ようやく周りの人から、娘の誕生を祝ってもらえた感じがした。

 

 

 

 

3ヶ月の命のなかで、

 

 

一番病状が安定していたとき。

写真もビデオもこの頃が一番多い…

 

親子の時間が少しずつ増えていきました。

 

 

生後20日目、

鼻から入れた管から初めての母乳。

しばらくして、哺乳瓶で飲む練習が始まりました。

といっても、1回に10 CC程度のわずかな量です。

 

 

 

 

娘の容態のよい時には、

酸素付きですがカンガルーケアもしました。

 

母娘が素肌で触れ合うカンガルーケアは、一日中保育器で過ごす新生児にはストレスが和らぎ、免疫力も高まる効果もあるみたいですが、

それは母親にとっても同じで、すり減った神経とガチガチに強張った身体が溶けていくようでした。


 

医療のない時代は、人はこうして手当していたのかもしれません。

 

 

 

お腹のなかで聞いていた私の心臓の音を、感じてくれたかな?

 

 

 生まれて49日目 NICU日記

初めてカンガルーケアをした。

ワァー小さい…というのが正直な感想…

服を着たままの抱っこは今までしていたけれど、肌と肌がぴったんことくっ付いてじわっと暖かくなる。

気持ちいいのか?呼吸も安定していて、ピコピコ(生体モニターの音)鳴らずでした。

 

 

 

 

けれども、

 

おしっこが出ても

すぐに元通りという訳はいかず

ずっと休んでいた身体の機能を、呼び戻すには時間がかかりました。

 

 

 

胎児水腫で肺も水浸し状態だったので

うまく呼吸出来ない。

人工呼吸器を外すとハァーハァとても苦しそうな顔になってしまう…

 

治療のためにずっと飢餓にしていたので、

動くのが当たり前と思っていた腸でさえ動かない…

 

 

そして、肝臓の数値が悪い…と。

 

 

臓器の1つ1つの鍵を開け点検、調整するような作業が続きました。

 

 

この頃は

 

 

2歩進んで1歩下がる感じ…

だけど退院に向けての1歩と思っていました。

 

NICU日記には

 

桜の花が咲いたら、お家に帰ろうね!

 

と何度も書いてありました。

 

 

 

 

 帝王切開後退院して15日目からは、

片道20分のNICUまで自分の運転する車で通いました。

 

病院と自宅をつなぐ20分間が、心のモヤモヤの調整時間にちょうどよかった…

妊娠中にたまたま買ってあった、童謡のC Dを聴きながら。

       その時の様子右矢印里の秋・・・泣ける

 

 

 続きます右矢印

 



 

自分の中の、

まんまるを欠けさせたらあかん。
お母ちゃんは、まん中歩く。

 

姫路、加古川にて流産・死産グリーフケア わかち合いサロン『結まぁる』を立ち上げ準備中です自助サポートの場で共に想いをわかち合うことは、次に歩み出すためのとても大切なプロセスと実感しています。               会のホームページ                                               http://yuimaaru2019.jimdofree.com 

 

今年7月、神戸に新しく立ち上がった会に、
ボランティアスタッフとして参加しています

 

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