■■ 質問 ■■



百鬼夜行って、あるんですかね?
よく漫画とかで、九十九神がついた茶碗やらが行進してるの見ます。
鬼とかつくも神とか、居るのでしょうか?



■■ 回答 ■■



実際に百鬼夜行を目撃したことは、私はありません。
しかし以前、私と助手の二人で真夜中に出掛けた際に、外の雰囲気が酷くおどろおどろしくて、それはもう恐ろしかった…という事がありました。
私はあの日、百鬼夜行のようなものが行われていたのではないかと疑っています。


お盆やお彼岸の前後は、言い表すならば、あの世とこの世の境目が薄くなるような感じがして、やはり外の雰囲気が普段とは随分と変わります。
しかしその日は、お盆などは全く関係の無い日でした。
それなのに、お盆やお彼岸よりも更に霊的な雰囲気が強く、まるであの世そのものの中に迷い込んでしまったかのような感覚で、外出している間中ずっと生きた心地がしなかった程です(T△T)


時折、ごく狭いピンポイントの場所だけ、霊的な雰囲気がちょっとおかしい…という事は、それまでも度々感じた経験がありました。
ですがあの日は、市内中のどこに車を走らせても、全体的に雰囲気が恐ろしかったのです。
その日付の前後に、何か歴史上大きな戦や大量の人死にが、この市内で起きた…などの史実は無いだろうかと、色々と調べてみましたが、そんな形跡も無く。
恐らく、私たち生きている人間の世界とは、異なるバイオリズムで動いているあの世において、何らかの特別な日だったのでしょう。
あんな恐ろしい夜が存在するのですから、百鬼夜行もきっとあると私は思っています。


鬼については、妖怪・神様の眷属・元人間だったもの…など、様々な種類が存在しているのではないでしょうか。
魂そのものが悪鬼のような恐ろしい人間も、世の中には居るものです。
悪魔や妖怪にも色々いるように、鬼にも色々いるのでしょう。


九十九神についてですが、これにも複数の意味合いがあると思います。


まず一つが、「物にも意識がある」らしい…という事。
私の家族が中古車を購入し、そのお祓いを頼んだ時の事なのですが、お祓いの様子を見ていた母は、車が喜んでいる意識をはっきりと感じて、非常に驚いたそうです。
私自身も、家を掃除していた時に、家が私に感謝してくれているのを感じた事があり、奇妙なものだなと思った事があります。
「物と人間にも相性がある」という言葉を、聞いた事がある方も多いと思いますが、これには「物の持つ意識」も関係しているのではないでしょうか。
また、日用品ではありませんが、神秘的な力があるとは言えど「単なる石」の筈のパワーストーンには、かなり強い意識があるようで、会話出来る方も珍しくないようです。
「物の持つ意識」は、長い年月を存在し続けるほど強くなっていく傾向にあり、それを「九十九神」と呼んでいるのではないでしょうか。


二つ目は、長い年月を経て存在し続けた物や、使用され続けた物には、それだけ人間の念が多く入っている…という事です。
ですので、骨董品や歴史ある品を扱っているお店・民族資料館などは、霊的な雰囲気が非常に濃い場合が多いです。
それだけで無く、物が長い年月を存在し続ける間に、その中に霊的な存在が入り込むという事もあります。
そうしたものを、「九十九神」と呼ぶ事もあるのでしょう。


こうした理由から、古い物は神様同様(九十九神が憑いている)と思い、大切にしなければならないのです。


昔から、葬儀の際に故人が使っていた茶碗を壊すという風習があります。
これは、「あなたの使っていた日常必需品はもう無いから、帰ってきては駄目ですよ」という意味が込められた風習だそうです。
また、私の母の実家の話なのですが、母の姉妹が全員嫁に行き、祖父も祖母も亡くなって無人になった家を取り壊す際も、茶碗や食器を全てその場で割ってからゴミに出しました。
これは、家を取り壊す際にお祓いをして下さったお坊様に、そうしなさいと指示された事で、恐らく葬儀の時に茶碗を割るのと、似たような意味があるものと思われます。


呪術や占いでも、対象が普段使っている物を使用して行うもがありますし、人間が日常で使う物には、私たちの想像以上に霊的な意味が込められているのでしょうね。


茶碗自体が行進する…というのは流石に無いとは思いますが、日用品の中に入っている九十九神が、百鬼夜行の時に物の中から抜け出して行進する、という事なのかもしれません。






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