見飽きた。幻はどこの空にもあった。


聞き飽きた。夕闇の中、白昼、いつもかわされる街のざわめき。


知り飽きた。生の節目に。 ・・・・ おお、「ざわめき」と「幻」!


さあ出発しよう、新しい情愛と新しい音の中へ!


                (アルチュール・ランボー 「出発」)





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お嬢様だった母と、ド田舎の建設作業員だった父。

なぜ、父と母が駆け落ち同然な結婚をしたのか、、、、。


私が物心ついた頃には、二人はすでに夫婦だった。

あまりにも当たり前な顔をして二人は夫婦をしていたので、息子としてはなかなか、なり染め等、聞きにくいものがあった。


もちろん、何度かそれとなく聞いたことはあったが、、、父の話は要領を得ず、母は露骨に不快感を表した。子が両親のなり染めを聞くなど礼を失する事なんだそうだ。ドクロ


が、機嫌の良いときに、母は楽しそうに昔話をしてくれた。

そう、彼女はただのお天気おばさん、、、、叫び



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母が女子大生をしていた頃、障害者と交流するサマーキャンプに参加したんだそうだ。

そのキャンプ場の駐車場の工事を父がしていた。

たまたま障害者の家族に父の知人がいて、夕方、仕事が終わったあと、ちょっと挨拶にキャンプ場の中へ。


なんだか大きな体を、妙に小さくした人が、遠慮がちに歩いていたと、母ははっきり記憶していた。


そして、舞台効果のような、激しい夕立。

みんなわらわらと車イスの障害者を押したり担いだりしながら、屋根の下へと運んでゆく。

力自慢の父が大活躍をしたのは言うまでもない。



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ずぶ濡れになりながら、終始にこやかに働き、そして、知らない人の集団に照れたのか、ちょっと頭を掻きながら、サッと帰っていった。

それで終わり。


それだけなのに、後日、母は、父の乗っていた車に書いてあった建設会社の名前を頼りに、父に会いに行ったそうだドキドキ



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父の驚いた顔が目に浮かぶ。

生まれて初めてプレゼントされた花束をどうしていいのか分からず、、、ぎゅっと握りしめ、、、照れ笑いしていた父。


父は変わった人だ。

怒ったら怖い。

力自慢で、喧嘩も強い。


でも、無口で、笑顔。

あまり自己主張はせず、周りに合わせる事が多い。


しかし、独身の頃から、例えば同僚が女を買うときは、決して同調したことが無かったそうだ。

なんだか照れくさそうに、そういうのは嫌いだと、一人で帰ってしまう。


でも、酒は大好きで、酒の失敗も多い。

ちなみに、結婚してからは、母の希望で禁酒している。


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その後の経緯は深い謎につつまれている(ん?)、、、ってか、母の機嫌次第で、謎のままだが、二人は結婚の約束を交わし、互いの両親に話したらしい。


父の両親は、、、、、ウケたらしいw 

お前が?お嬢さんと? あははははって腹を抱えて大爆笑w

ただ、うまく結婚できるとは思うなって、それでも彼女を憎むなよって、祖父が言ったそうだ。(老人大学でゲートボールをやっている祖父だ)



一方、母の両親はもちろん猛反対。

ただし、、、祖父は「リベラル」な人で(大昔に京大で学生運動をやってたそうだ、もちろん一学生としてね)、、、微妙な言い回し。

そして、さんざん反対しておいて、「君の人生は君が決めるものだ」と言ったそうだ目

ちなみに、父の働いていた小さな建設会社に露骨な圧力があって、のほほ~~んとしている母が珍しくぶち切れて、両親に怒鳴り込んだり、、、。


ま、青春っていいねえラブラブ


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その後、私が高校生になった時、初めて母の両親と会った。母も結婚後に会うのは初めて。祖父と同じ高校の後輩になった祝いに、妙に高級そうな万年筆を貰った。ちなみに、万年筆って、、、未だに使ったことないけど、、、。


その時に、母も私も、母方の遺産の相続放棄の念書を書いた。(法的効力は、実は無いんだけどね)

それからは、現金なもので、母方の親戚との付き合いが多少は続いている。しかし、父だけは許して貰えていない。


俺が言うのもなんなんだけど、、、、

頭はちょっと弱いが、あっさりと爽やかな、、、オヤジ。


が、さすがに仏様じゃないんだな。


俺が大学受験を控えていた頃、オヤジは勉強関係の事で口を挟んだ事なんて一度もなかったのに、、、、


「京大にだけは行くな」と、言った。



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よほど、母の父に腹に据えかねる思いをしてきたのだろう。

(京大が悪い訳じゃないんだけどね)



ちなみに、模試の結果、、、、東大京大なんて、無理無理w

オヤジもほっと胸をなで下ろした、、、のかな?w