後編

 

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子供はそうなんですよ。

瞬間的に変わるから。

もうなんか、

あの人たち(子供)が

フィルムの切り替えを

見せてくれるよね。

あれがまさにその、

泣いてたと思ったら

笑ってるし、みたいな。

ご飯食べるって言ったのに

テレビ見てるし。

テレビ見てると思ったら、

トイレ行った、みたいな。

だからその子供の、

「ご飯をずっとそこに

座って食べ続けろ」

っていうことすらやっぱり

ご飯は座ってずーっと

食べなきゃいけない、

変わらないものだ、って

やっぱり概念を持ってると、

子供がやっぱり

立ち上がったりとか、

違うことすることに対して

抵抗がやっぱり出る。

そうですね。

だからそれを叱りつける

自分もまた、もちろん

否定しちゃダメなんだけど。

なんか、1個の見方として、

あ、フィルムの切り替えを

今この人に見せられとるな、

っていう観点で見ると

オモロイと思う。子供。

別にその叱ってしまったり

とか、なんか、

怒鳴ったりとかする行為を

全然否定、したらまた

変な風になるからさ。

自分のことをね。

だからそうじゃなくて、

ひとつ視点を増やす。

「すげー。フィルムの

切り替えマジ達人やん、

この人」みたいな感じで

見てるとオモロイと思う。

「いやーそれはちょっと

わたし、よーやらないわ」

みたいな感じで(笑)

見たらさ。

「ちょっとここまでの

レベルは無理やけど。

自分にできること

もうちょっとあるかな」

みたいな。

すげーな、って。

あ、動物もそう。

動物もそう。

もっちろん、動物もそう。

そう、だから、

「どなっちゃう。

時間がないとか、

間に合わないよとか」

そう、どなっちゃっても

しょうがない。

ちょっと文化違いだから。

今の時点では。

でもその

どなっちゃったあとに、

「いやーわたしには

その行動よーせんな」

みたいな。

だから子供が今やってる

行動を、自分が今しようと

したらできますか?

っていう問いを

自分にするとオモロイよ。

絶対できないから。

でもそれを

やってのけちゃってる。

目の前の人は。

それすごくない?

自分ができないことを

やってるんですよ。

彼らは(笑)

そう、文化違いだから。

どなりたくなるのは

まぁしょうがないとして。

いや、すごいな。みたいな。

ちょっとその視点で、

お子さんをお持ちのお母さん。

ちょっと今日、

観察してみてください。

我が子を。

 

あともう1個が。

自分も子供のとき、

こうじゃなかったっけ?

ってちょっと思い出すと

いいかもしれない。

あ、確かに自分も

昔はこんな動きかた、

そういえばしてたな、

みたいな。

じゃあその子供のときの

自分と、今の自分の

行動を比べたときに、

めちゃくちゃ差がある場合、

えーと、自分の子供が、

そのときの自分の感覚を

取り戻させるために

その行動を起こしてる

ケースが非常に多かったり

するから。

例えばすごい泣く

子供だったのに、なんか、

大人になってから

涙1滴流さなくなったな、

みたいな。

それはなんでかって言ったら、

悲しんでたら、

「ほら、泣くんじゃない」

ってすぐ叩かれたりとか

親にしてたら、

あ、泣くこととか悲しむことは

よくないことって、なんか、

いつも元気でいなきゃいけない、

っていう、なんかそれが、

いつのまにか、頭ん中に入って、

感情が…この感情は良くない

ってなってしまってる。

でも子供んときは、

すごいよく泣く子だった。

感情…悲しいっていう感情を

すごくよく表現してる子

だったのに、

もともとはそういう

人だったのに、大人になって

そうじゃなくなった人は、

自分の、例えば子供が

めっちゃギャン泣きする

子だったりとか、する。

で、それを見てたら、

この見方をすれば、

そういえばわたしもよく

子供の頃泣いてたな、

みたいな。

「わたしがずーっと

この何十年間、

本当はやりたくて

やれなかったことを

彼女はもう思いっきり

表現してるんだ」

っていう見方。

 

あ、これもあるよね。

xxxさん。

「怒りん坊だったのに

大人になってから

怒りかた忘れちゃった」

そう。めっちゃ怒ってた

子供だったのが、

今もうなんか、

顔色ひとつ変えない、

みたいな。

なんかそれが、

大人になる中で、んーと、

ほんとに、なんていうかな、

落ち着いて、

ほんとにそうなった、

っていうタイプだったら

また違うかもしれないけど、

「怒っちゃダメでしょ、

そんなもの」って

言われ続けて、

怒れなくなったタイプの

人だったら、子供がよく

怒る子だったりするよねー。

そうすると、昔の自分が

封印した自分を目の前で

表現されるから、

めっちゃそれこそ、

子供に腹立っちゃう、

っていうか。

 

「わたしも娘も

怒りん坊なんやけど」

めっちゃいいじゃないですか。

怒りん坊。

怒りん坊って、いいよね。

ふふふ(笑)

 

「うちの娘の口癖、

“がんばりたくない”。

わたしの本当の心の声だ、

って思った」

ほんとそうっすねー。

 

「子供いない人は

周りの人にイラつくときを

見てけばいいかな」

そう。

ちょうど言おうと思った。

そう、子供がいない人は、

たいがい近くにいる。

そういう人(笑) あの…

「コイツ!」みたいな

感じの人。

「コイツ!」って思う人いたら…

あの、その相手に対して

別にその、腹を立てる、

っていう感情は

そのままにしといて、

でも自分のために、

「あーなんかちょっと

この人の要素、

昔持ってたけど

わたし今封印してるな」

とか、そうやってやってると、

自分のことが

わかってくるんよね。

 

ほらほらほらほら。

「自分中心すぎる人」

ほんとは自分中心で

動きたい、とかね。

だって、そうそう、

封印してるとね、

イラつくんですよ。

自分がだってやりたくても

やってないことを

目の前でされたら

ムカつかない?

自分がめっちゃ

ケーキ食べたい、と思ってて、

ケーキ、でも食べれない。

目の前に

自分のケーキはあるんよ。

食べていいのにさ、

自分が食べちゃダメって

なんか、NG出してて。

それをさ、目の前のさ、

席でさ、

めっちゃ美味しそうに

ケーキ食べてたらさ、

それニコニコ笑って

見てられんくない?

でも言ってるように、

ほんとは食べていいんよ。

自分の目の前のケーキ。

でも自分は食べちゃダメって

制限してるから、目の前で

美味しそうに食べてる

ケーキのそのやつが

ムカついてたまらない、

みたいな。

じゃあ。この、

イライラッてした感情は

どうやったら消えるか、

って言ったら、

目の前の自分のケーキを

食べたらどうなるか、

って言ったら、

「おいしいねー💕」

ってお互いなれるわけ。

「おいしいねぇ」

みたいな。ふふ(笑)

だからその、

「コイツありえん(怒)」

みたいな。

「なんかもう

無性にハラが立つ」

っていうときは、

自分の目の前のケーキを

制限かけて食べてない。

でも、なんでじゃあ

食べれないかっていうと、

このケーキ食べたら

死んじゃう、

って思ってるんよね。

自分の中で。

「このケーキ食べたら

死んでしまう」

みたいな。

ほんとはめっちゃ食べたいのに。

要は怖い、ってことです。

恐れ。

恐れ恐れ恐れ。

全然死なないんだよ。

なんでその食べずに

制限かけてるか。

それは、「これを食べたら

すごい怖いことになる」

ってエゴが、自分の頭の中で

ささやいてるから、

それを食べさせないように

してるわけですよ。

 

さぁ、そんな…いきなり、

謎に子育て論になっちゃった(笑)

わたし子育てしてないから

子育て論でもないけど。

子供ってフィルム切り替えの

天才だよ、っていうお話でした。

 

さ。

自霊拝からやろ。

1分間。静寂の1分間。

胸の前で手を合わせて合掌。

目を閉じて、

深呼吸していきます。

大きく息を吐いて。

ゆっくり吸って。

大きく吐いて。

ゆっくり吸って。

深い呼吸を繰り返していきます。

ティンシャが鳴ったら、

1分間、意識の静寂の時間を

過ごしていきます。

 

(ティンシャ)

 

大いなる源である

本来のエネルギーを

わたしは思い出します。

大いなる源の持つ

信じられないほどの

心の平安を、今感じます。

わたしの奥深くにある

心の平和を、今感じます。

わたしは自分の

すべてを受け入れます。

湧き上がる感情

すべてを愛します。

自分の気持ちには

いつも耳を傾けます。

今この瞬間、わたしは

大いなる源の意識となり、

人間である自分自身の

存在を包み込んでいきます。

 

「わたしが何者であるかを

理解すれば、

少しは謎が解けるだろう。

わたしは神である。

わたしは女神である。

わたしは至高の存在である。

存在するすべてである。

始まりであり、終わりである。

アルファであり、オメガである。

わたしは太陽であり、

物質である。

問いであり、答えである。

上昇であり、下降である。

左であり、右。

現在であり、過去、未来である。

わたしは光であり、

光を創造し、

そかりを可能にする闇である。

わたしは限りない善であり、

善を善たらしめる悪である。

わたしはそのすべてであり、

存在するすべてである。

わたしは自分のすべてを

経験せずに、一部だけを

経験することはできない」

 

胸の前で合掌したまま、

深呼吸を繰り返していきます。

 

(ティンシャ)

 

それでは今日も、あわうた。

1度めのあわうたの歌で、

自分の光だった存在が

2番め3番め…

1番め2番め3番め、

だんだんこう、光のその、

物体をまとっていなかった、

肉体を持っていなかった

自分のエネルギーが

だんだん生命力にあふれ、

この地球という惑星に

グラウンディングする。

そんなイメージで。

深い呼吸はそのままで。

心の中で合掌してください。

 

(♪あわうた)

 

あかはなま

いきひにみうく

ふぬむえけ

へめねおこほの

もとろそよ

をてれせゑつる

すゆんちり

しゐたらさやわ

 

 

なんかちょっとコメントが

目に入ったんで。

「ああ、今日も

ツライ1日が始まるよ」

1日の区切り、やめてみたら

どうでしょうね。

1日の区切りを。

「今日もツライ1日」

じゃなくて、

「あー、ツライ10分間が

始まったな」ぐらいな感じ(笑)

10分単位で区切ってみたり。

30分単位で区切ってみたり。

1時間単位で区切ってみると、

よきですよ。

「あ、ツライ…

わたしにとってツライ

1時間が始まった」

1時間で終わるからそれ。

1時間で。

2時間めは

よくわからないから。

これからだから。

1日と思うとげんなりするやん。

めっちゃ長いやん。嫌やん。

あと1時間やったらいいやん。

あと1時間(笑)

あと1時間ツライな。

みたいな。

でも2時間めには、

わたしの気持ちは

切り替わっている。

 

最高やん(笑)

「あーお金のない

10分間が始まるよー」

最高です。

10分だけお金がない。

間違いない。

 

3分間もいいっすねー。

3分間ウルトラマン。

3分ツライ。みたいな。

3分後わからない。

「3分間ツラがります。

わたし今から3分間だけは

絶対にツラがってみせる」

みたいな。

 

今日も、

ありがとうございましたー。

 

(木魚)ポクポクポクポクポク…

わたしはわたしー

わたしはわたしー

今ここ 今ここ

今ここ 今ここ

わたしはサイコー

わたしはサイコー

わたしはわたしー

わたしはわたしー

今ここ 今ここ

今ここ 今ここ

 

(ティンシャ)

 

ちょうどあわうたも

終わりそうや。

(バックでかかってた)

 

またねーん。

 

・・・・・・・・・・・・

 

昨日今日、

癒しフェアに行ったけど

なぜかすごく疲れて

今日は午後中寝てました…。

なんだろねー。