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7月11日、HappyDJの

ソースチャンネル

はじまりまーす。

おはまるソーサー。

 

すげー元気がいい人いる。

「スーパーハッピー

モーニングソーサー」

xxxさん。

テンションたけー。おはよー。

今日もおはそー。

さっきのテンションに

今はついていけなかった。

申し訳ない。へへへ(笑)

 

さあさあさあさあ。

あ、「シュウマイちゃんおはよ」

って、ありがとう。

 

「今日は父の誕生日70歳」

xxxさん。おめでとう。

 

「どんちゃん、さんまの番組に

豪華俳優と出てましたね」

大活躍やね。

 

さぁ。昨日さ、

ちょっと、

謎になんの脈絡もなく

話し始めるけど、

すごく、すごくわたしが。

わたしがね、わたしがいいなと

思った文章を見つけたんで、

ちょっと読みます。

 

「わたしが

何者であるかを理解すれば、

少しは謎が解けるだろう。

わたしは神である。

わたしは女神である。

わたしは至高の存在である。

存在するすべてである。

始まりであり、終わりである。

アルファであり、オメガである。

わたしは太陽であり、

物質である。

問いであり、答えである。

上昇であり、下降である。

左であり、右。

現在であり、過去、未来である。

わたしは光であり、

光を創造し、

光を可能にする闇である。

わたしは限りない善であり、

善を善たらしめる悪である。

わたしはそのすべてであり、

存在するすべてである。

そしてわたしは

自分のすべてを経験せずに

一部だけを経験することは

できない。

そこがあなたにはわからない。

あなたはわたしを

ひとつに決めたがり、

別のものではないと思う。

高いのであって低くはない。

善であって悪ではない、と。

しかしわたしの半分を否定すれば、

自分の半分を否定することになる。

それでは決して

本当の自分にはなれない」

 

「神との対話」の、なんか、

キンドルで見つけた

1ページだったんですけど、

いやもう、もうこれが

すべての真理やな、と。

 

すべてなんですよね。

すべて。

わたしとはすべて。

「わたしは神である」

と言うときに、その、

伝えている何かが

「自分自身が神である」

とは言っていなくて、

わたしとは、その、

訴えかけてる

わたし自身も含めた、

主語が「わたし」

っていう意味なんですよ。

だから「わたしはすべて」

なんですよ。

「わたしはすべて」

というときに、

善も悪も含む。

光も闇もすべて自分である。

だから、片方を、要は、

片方だけを排除することは

わたしの一部を排除する、

っていうこと。

始まりであり終わりである。

アルファでありオメガである。

 

そう。

この…なんか、この、

本当は、本当の本当の本当は

全部だ、っていうことを

なかなか…なんて言うかな、

なかなか、この概念を

一番最初に文章だけで

入れるのって難しいと

思うんだけど、

わたしのやり方ですけど、

なんか、もう狭い考え方に

なったときに、わたしは都度

こういう文章とか言葉に触れて

自分の意識を1回そこに

戻したうえで、

それで自分が感じる、

それでもそれは嫌だな、

っていう。でも、それが

世界に存在することを

否定しないというか。

わたしのただの個人的な、

現在の人間の中に、

肉体にそれこそ

ウォークインしている

自分的には、

それは好みではない、は

はっきり明確にするけど、

もっと大きな視点で

言うのであれば、

それは当たり前に

どちらも存在してる、

っていう。

なんか1回、あの、狭い

ものの捉えかたとか、見解が

自分を苦しめてるんですよ。

苦しいっていう感情を生むから。

そういうときにこういう、

なんか、ね、

「アルファでありオメガである。

わたしは女神であり、

わたしは至高の存在である」

とか、ま、わけわからんと

思うけど、1回そういうのに

ちょっとでも、なんか

文章のエネルギーとか

言葉のエネルギーに触れると

少しだけ意識が拡がるっていうか

元に戻るから。

自分の本質的な。

なんかそこのうえで

自分がどういう意見を

選択するか、ってやると…

まぁ、自分のためですね。

 

「わたしが何者であるかを

理解すれば、

少しは謎が解けるだろう。

わたしは神である。

わたしは女神である。

わたしは至高の存在である。

存在するすべてである。

始まりであり、終わりである。

アルファであり、オメガである。

わたしは太陽であり、

物質である。

問いであり、答えである。

上昇であり、下降である。

左であり、右。

現在であり、過去、未来である。

わたしは光であり、

光を創造し、

光を可能にする闇である。

わたしは限りない善であり、

善を善たらしめる悪である。

わたしはそのすべてであり、

存在するすべてである。

そしてわたしは、

わたしのすべてを経験せずに

一部だけを経験することは

できない」

 

今…あの、7月18日の祭theONEの

ことについて動いてるんですけど、

ま、天の河(伝説)のときも

そうだったんだけど、

最近、こう、わたしの中で

起きているひとつの課題って

いうのが、より時間の概念を

崩す出来事みたいなことが

起きていて。

なんか、ほんとに5分後単位、

もう5分後にはどうなってるか

わからないっていうので

大きなものを動かしていく。

今までは個人レベルの内容で、

自分の、例えば日常ではもう、

「5分後にどうなってるか

わかんないしな」

っていうのは、なんか

さらりとできてたんだけど、

それが、なんか、

大きく人が関わってくることに

対しても、この同じ

時間の概念で動きを取る、

っていうのが、今、

わたしの中である、こう、

1つの課題なんですよ。

えー、そうするとやっぱり

やったことないことだから、

恐れが出る。

不安とか、大丈夫かな、

っていうときに、

なんかこういう文献とかに

わたしは触れて、

「ちょっと待って」

みたいな。

「今この瞬間しか

存在してないのに、

何に対して

不安になってるんだろう」

「何が…何を恐れてるんだろう」

みたいな、ことをやって、

その選択を

し続けてるんですよね。

ほんとに常に選択を

し続けてます。

「今この瞬間どうするのか」

っていう。

そしてどうなるか

わからないんですよ。

ほんとに。

その選択した結果が

どうなるかわからない、

っていう、その結果の責任を

引き受けなきゃいけなくて。

でも、これを繰り返していくと

ほんとに命を感じるし、

すごく、退屈さがもう、

皆無になる。

ほんとに生きてる、

っていう感じが。

今この瞬間。

そう、だから、いいこと、

自分にとって、なんか

気持ちのいいことの結果を

欲しいから、今この瞬間の

選択をするわけではなくて、

起きるすべての創造の責任は

自分で取ります。っていう

選択なんですよ。

それはなんか、本当に、

ありありと意識を、なんか、

明晰にしておかないと

やっぱできないんですよ。

選択が。

だらだらっとした意識では

なんか、できなくて。

今この瞬間。

 

たとえばだけど、なんか、

それが、んー、

なんかこういう話をすると、

すごく壮大で荘厳な

選択だと、たぶん勘違いして

捉えがちなんだけど、

まったくそうじゃなくて。

たとえば昨日起きたことで、

ちゃう。ここ最近、

ここ2,3日で起きたことで

言えば、7月8日から、その、

18日のイベントのことの

メインメンバーの集めた

ミーティング?

それまでは、裏の、その、

演出とかに関しては

プロデューサーのチームの

人たちが動いてたんだけど、

実際じゃあ、現場を動かす、

っていうわたしたちが、

8日からこういろいろ

始まったときに、

スケジュールとか。

みんなが集まる。

プログラムとか。

要は、読めないわけですよ。

どう…だから、

今、喋ってることが

決まらなかったら、

もしかしたら5分後に

決まるかもしれないし、

逆に今決まったことが

5分後に変わるかもしれないし。

みたいな。

何がほんとに次の瞬間

起きるかわからない、

っていう。

で、みんなにも伝えたんですよ。

今回は、

「今この瞬間」っていうのに

ほんとにフォーカスして

作っていかなきゃいけない

イベントだから、なんか、

みんなの中でも、

今この瞬間、っていうのを

選択してほしい、っていう

話をしたんだけど。

今、だからそこの

実験中ですよね。

で。じゃあそれでやったときに

「あ、明日の何時にみんな

あれしよ」って思ったら、

たまたまわたしが投げた時間が

みんな翌日空いてたりとか、

あと昨日とかも、夜9時から、

あ、ちゃう。

夜8時からダンスレッスンが

あります、その前に

はぁちゃんとミーティング

していて、はぁちゃんが

先生で行かなければいけないん

だけど、なんか、そこに向かう

途中に、お腹が空いていた、と。

ほんとは行かなきゃいけない。

先生で教えなきゃいけない、

自分が、立場だから。

でも、お腹が空いた。

ま、普通だったら行きますよね。

そのまま。時間に間に合うように。

でも、じゃあ今この瞬間! って

思ったときに、もう、

待たせて怒られる。

迷惑かける。

かもしれないけど、

もう全部その責任も引き受けて

ご飯食べてから行く、

っていう選択をして、

じゃあ進んでみよう、

ってなったときに、

まりりんっていう、

ちゃんと別の教えられる人が

「任せて」って言って

教えてくれて、

そのまりりんがまた、

ちょうどこのダンスに

めちゃくちゃピッタリ

合ってる先生で。

で、さらに。

ミュージカルみたいな

演出をしたい、っていう

すごい、やってみたいが

あったみたいで、

まりりんが昨日先生を

やったことで、

あ、その、From now onの

そのパートはまりりんに

お任せしようと思ったんよね。

全部。演出も。

でもうキャストがピタッと

決まったんよ昨日。

それで。まりりんで。

でも、もし、はぁちゃんが、

その瞬間、

「みんなに申し訳ないから。

ご飯も食べすにお腹すいたまま

そこに向かおう」って

やっていたら、そのまりりんの

キャスティングは昨日、

起きなかったんですよね。

なんで…ま、なんか

くだらないことじゃん。

ご飯食べるか食べないか、とか。

くだらないんだけど、

その選択すら、

すごくほんとは大事だ、

っていうことが伝えたい

ってことです。

 

なんか、当たり前に日常を

過ごしすぎてるから、

それをもっとありありと、

なんかこう、命あるものに

させていくのも自分で。

で。ちなみにでも、

その選択をして、えー、

怒られたりとか、うまく、

何? その、「え、待って。

なんで来ないの(怒)」

とかって言われるケースも

もちろんあるわけで。

でもその結果すら

ちゃんと引き受けるっていう、

今この瞬間の選択です。

 

「責任を引き受けるって

どういうことなんだろう。

どんな結果もオーライと

受け止めることかな」

いや、なんか自分の気分が

たとえば、悪くなることとか、

気分のよくなることも、

もう全部、

創造したことに対する責任。

これは自分が作り上げた

ものだから、全部愛でます。

っていう覚悟です。

 

いや、怖いですよ。

でも、その選択の繰り返しが

自分の概念の枠を全部壊して、

無限に向かっていくんですよ。

無限に戻っていくんですよね。

いや、ほんとに

気にすることなんて

何もなかったし、

時間ってなかったし、

何もなかったんだ、っていう。

そうすると、もっとこの

現実に対しての

選択の幅が広がるわけですよ。

だって何も気にしなくなるから。

 

「その覚悟で日々過ごしたら

すごくパワー出そう」

そうなんですよ。

わたしこれで生きてます。

 

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後編に続きます。