最近、ソースチャンネルでは

肉体を意識するっていうのが

よく出てくるのですけど、

それについてのわたし的考察。

 

本来は単なる意識だけの

存在であるわたしたちを

この現実世界、3次元の世界に

結び付けているのは、

「肉体」と

「環境」と

「時間」の3つ。

って話を聞いたことがあります。

 

特にこれらの3つがそれぞれ、

感情と組み合わさったときに

強烈に3次元の世界に

入り込みますよね。

 

肉体だったらまずは痛み。

あと、おなかすいたとか

眠いとか、

トイレとかの生理現象。

環境は、家族、仕事、お金、

あと社会的通念とか、人の目、

比較競争からくる無価値感とかも。

時間は、過去の後悔と

未来への不安や焦り。

何時までにどこに行かなきゃ、

そのために何時に家を出て、

何時までに支度して、

あれもこれも用意して…

っていう計算とか。

 

瞑想などを通じて

「今ここにただ在る」

をやると、この3つのうち

環境と時間から解放されます。

この2つは、特に感情と

結びつきやすいので、

環境と時間を一時的にでも

忘れることができれば

心は平和です。

 

もちろん肉体も一時的に

忘れることは可能です。

大好きなことを夢中になって

やってるとき、

寝食を忘れて没頭してるってこと

ありますよね。

でも生理現象はどうしたって

避けられない気がするんですよ。

生きている限り。

 

 

わたしが思うに、ですが、

上の3つの中で一番、

感情とくっついても

フラットでいやすいのが

肉体なんじゃないかなと。

だから大いなる意識の状態で

「ただここに在る」をやるとき、

肉体を3次元の世界への

アンカー(錨)に

するのがよいのかなぁと

思うのです。

だから肉体を意識する。

そもそもわれわれは

肉体の持つ5感を通じて、

3次元の世界を

楽しみに来てるわけですし。

 

という、

現時点での考察でしたー。

ちなみに、環境も時間も

悪いわけではないので

いつも忘れていればいい、

という話ではないです。

そこは使い方次第。

 

 

理論の話になると

難しく感じられるけど、

結局やっぱりやることは

肉体を意識して、

肉体が欲していることを

毎瞬細かくキャッチして

できれば叶えてあげること。

これに尽きますねー。

あれ食べたい。

眠い。

休みたい。

出かけたい。

あれ見てみたい。

これ触りたい。

これは嫌い。あれが好き。

あるときは肉体のわたしとして

望みを伝え、

あるときは大いなる自分(執事)

としてその望みを叶えてあげる。

小さいことをコツコツやるって

やっぱりこういうことだと思う。

 

 

 

まぁ実は、

そんなこんなしてるうちに

まあまあ大きな望みも

出てきてまして。

ていうか、何度も出てきてたのに

毎回フタして、

見ないふりしてました…。

 

ひゃあー滝汗 ほんとにいいの? 

そんなことわたしが言っちゃってあせる

みたいな感じなんですけど、

近いうちにこれもまた

記事書きまーす。

心の準備ができたら(笑)

 

ピンときてくれる人が

いるといいなぁチュー