真央 逆転で2年ぶり5度目V | 浅田真央さん&浅田舞さん 応援ブログ

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お母さんやったよ、真央 逆転で2年ぶり5度目V

$浅田真央さん&浅田舞さん 応援ブログ ◆フィギュアスケート 全日本選手権最終日(25日、大阪なみはやドーム) 真央は勝ったよ、お母さん―。女子フリーを行い、SP2位の浅田真央(21)=中京大=が合計184・07点をマークし、逆転で2年ぶり5度目の優勝を飾った。クリスマスの夜に9日に亡くなった母・匡子(きょうこ)さん(享年48歳)に金メダルをささげた。SP首位の村上佳菜子(17)=中京大中京高=は172・69点で3位だった。浅田ら男女8人が来年3月の世界選手権(フランス)の代表に選ばれた。

 演技を終えると、真央は思いをかみしめるかのように瞳を閉じた。そして短くほっと息を吐いた。「自分もすごくうれしいし、母も喜んでいると思う。(母は)一番近くにいてくれるような感じだったので、何も報告しないでも分かっていると思う」。悲しみをこらえて全日本女王に返り咲き、天国の母・匡子さんに最高のクリスマスのプレゼントを贈った。

 9日に母が亡くなってから17日目。「やはり、いつもと気持ちが違った」と心は揺れていたが、冷静に勝負に徹した。冒頭に組み込んだトリプルアクセルは朝の練習で3回決めるなど上り調子に見えたが、直前に佐藤信夫コーチ(69)の助言を聞いて回避する安全策を選んだ。

 フリーは昨季と同じリストのピアノ曲「愛の夢」に乗せたプログラム。振り付けを担当したカナダ人のローリー・ニコル氏から、匡子さんが亡くなった直後に「頑張って」というメッセージが届いた。最初に2回転半を成功したが、後半の3回転サルコーが2回転に。最後に跳んだ3回転ループは2回転になった上に着氷が乱れた。リンクを降りた真央は第一声、「あ~くやしい! ループがくやしい」と苦笑いした。フリーでは鈴木に次いで2位だったが、優勝した11月のロシア杯の183・25点を超え地力の高さを証明した。佐藤コーチは「想像を超えた苦しみがあったと思う。日ごろの真面目な努力のたまもの」とたたえた。

$浅田真央さん&浅田舞さん 応援ブログ 葬儀翌日の13日から愛知・豊田市の中京大リンクで練習を再開した。その時、15歳まで教わった山田満知子コーチ(68)にリンクで言葉をかけられると、人前ではこらえていた涙があふれた。「今までママは真央の横にいてくれたけど、これからは真央の中にいる」。山田コーチが「じゃあ、真央じゃなくて“ママオ”だ」と言うと、「うん、ママオ」と答えたという。その後は涙を見せずに練習に集中。一緒に練習する小塚崇彦の父で、68年グルノーブル五輪代表の嗣彦さん(65)は「お母さんのことは一切口に出さず、黙々と滑っていた」と振り返った。

 試合後も、気丈な姿勢を崩さなかった。「毎日練習で忙しくしていたので、気持ちをしっかり持つことができた」。途中で今にも泣きそうに顔がこわばったが、懸命に平静を保って話した。

 来年は世界選手権で女王奪還に挑む。「昨季は不安があった状態で世界選手権に入ったが、今季は安定した状態で入れる。世界選手権に向けてレベルアップできるように頑張りたい」。つらくても立ち止まらずに滑り続けるのは、母の夢だった14年ソチ五輪金メダルのため。胸の中に永遠に生きている匡子さんと一緒に、真央は笑顔で戦い続ける。

 ◆浅田 真央(あさだ・まお)1990年9月25日、名古屋市生まれ。21歳。中京大中京高から中京大に進学。トリプルアクセルを武器に15歳だった05年GPファイナル優勝。初出場だった10年バンクーバー五輪で銀メダル。世界選手権は08年に初制覇し、10年に日本人初となる2度目の優勝。2連覇を狙った11年世界選手権は6位。今季は11月のロシア杯で3季ぶりのGP優勝。163センチ、50キロ。
http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/winter/news/20111226-OHT1T00028.htm