『Vガンダム』、30周年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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「有栖川まお」のガンダムで倉木麻衣な日々の出来事を綴ったブログです。

 『機動戦士Vガンダム』の放映が開始されて、本日で早くも30年の刻が流れました。メカデザインに関しては、以前書いた通りですので、今回は本作に対する作品論そんな大層な物ではありませんが…)を。

 

 『ZZ』以来7年振りのTVシリーズのガンダムという事で期待されていたこの『Vガンダム』は、その勇壮なタイトル及び主題歌とは対照的に、ひたすら鬱展開のストーリーで、若年層の視聴者に皆殺しの富野の名をあらためて知らしめる事になってしまいました。

 当時、サンライズ上層部が、当初予定されていた『F91』の続編では無い全く新作のガンダムを富野氏に制作させたのは、サンライズがバンダイへの「身売り」を行なう事になったので、少しでも有利に買い取って貰う為であった、と言われています。そして、それを知った富野氏のサンライズ上層部に対する怨念が、富野氏をして『Vガンダム』を凄惨極まる内容にさせたのだと言われています…。そうしたストレスフルな制作現場の中で、を患ってしまった富野氏は、日本刀を持ってサンライズに殴り込みに行くトコだったそうです(汗)。

 

 その上層部から「売れるからバイク型のメカを出せ」と言われた富野氏が、半ばヤケになって生み出したメカが、ザンスカール帝国アドラステア級を始めとするバイク戦艦でしたが、

当時は商品化されませんでした。まあ、出したとしても、まず売れそうにありませんでしたけどね

 ちなみに、『ドラグナー』のバイク型メカであるガン・ドーラのキットが売れた(現在も再販の度に瞬殺されたり、中古屋ネットオークション上で定価の10倍以上もの法外な値段で取引されたりしてます)のは、

そのデザインがウケたからと言うよりも、あくまでも「流用パーツとしてモデラーに重宝されたから」であって、それが上層部を勘違いさせてしまったのかもしれません…。

 

 そしてS.F.S.(サブ・フライト・システム)のアインラッド

 手塚治虫先生の『W3(ワンダースリー)』に登場していた「ビッグ・ローリー」にそっくりの、いかにも虫プロ出身の富野氏らしいデザインで、

コレも売れ線と思って登場させたのでしょうが、結局商品化はGKのみに留まりました。まあ、いくら劇中で手強い敵という演出をされたところで、只のタイヤなんて一体誰が欲しがるというのでしょう

 

 とにかく、私がこの『Vガンダム』を観ていて思わされたのは、「あぁ、もう富野氏は『ガンダム』をブッ壊してしまいたくって仕方が無いんだな」って事でした。次回予告では、ヒロインシャクティが毎回「観て下さいっ!」って叫んでましたが、私としては、とてもそんな風に胸を張って人に勧められるような作品ではありませんでした…。

 世間的にも、当時既に『ガンダム』はもう食傷気味だという認識があったようで、かつて『ファースト』『Z』『ZZ』はキー局と同時ネットだった仙台での放映も、この『V』以降は遅れネットでの放映となってしまいました。後の『』に至っては放映すらされませんでしたし…

 この『Vガンダム』を最後に、TVシリーズの宇宙世紀ガンダムは制作される事が無くなり、Gガンダムを始めとするアナザー・ガンダムへと移行して行ったのは、歴史の必然だったのでしょう。『∀』も『Gレコ』も、一握りの熱狂的な富野ファンが支持していただけで(私個人は「富野ガンダム」は『逆シャア』で終わってしまったと考えてます)、世間一般的な人気はあまりありませんでしたしね…