クニマスが田沢湖に戻る前にお亡くなりとは…。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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 『釣りキチ三平』の矢口高雄先生が、今月の20日に亡くなっていた事が明らかになりました。マラドーナの訃報も残念ですが、私としてはこちらの方がショックですよ…。

 矢口先生は、10年前に山梨県の西湖クニマスが発見された時、かつてそのクニマスが棲んでいた故郷秋田の田沢湖にクニマスを呼び戻す事を待ち望まれていたのですが、その夢が叶う前にお亡くなりに…。

 かつてクニマスが生息していた田沢湖は、1940年に水力発電所を築く際、近くを流れる玉川から水を引く事になったのですが、その玉川の水は「玉川毒水」と呼ばれる強酸性の代物だったのでした。当然、田沢湖の漁民は魚の絶滅を心配したのですが、当時は日中戦争中という事もあって国策には抗えず、漁民にはなけなしの補償が支払われたのみで、酸性に弱いクニマスの稚魚は真っ先にやられてしまい、それ以来田沢湖は、酸性に強いウグイが生息するだけの「死の湖」となってしまいました。

 しかし、その5年前に、クニマスの受精卵を密かに持ち出して孵化させて西湖に放流した人が居て、おかげでクニマスは絶滅を免れ、10年前にさかなクンの一助によって再発見されたのはご存知の通りです。矢口先生も、その前に『三平』の平成版において、生前の一平じいちゃんが同様にクニマスの稚魚を秘密の地底湖に放流していたという話を描かれていて、その先見性に驚かされたものでした。現在も田沢湖の中和作業は続いているのですが、依然として高い酸性値が続いている為にクニマスを戻す状況には程遠く、湖畔に「クニマス未来館」が築かれて展示されているのみに留まっています。

 

 『釣りキチ三平』と言えば、また『オレンジ★ロード』の話となってしまいますが、6年前にタイムスリップした恭介が、後に物語の重要なキーアイテムとなる赤い麦わら帽子を、当時小学5年生だったまどかが被った姿を見て「釣りキチ三平」呼ばわりしていた事が思い出されます。そして『三平』と言えば魚紳さんですが、その名字「鮎川」から、もしかしてまどかの親戚なんじゃないかと思ったりしたのですが、それを確認する前にまつもと先生も矢口先生も逝ってしまわれました…。