123便墜落事故、35年。 | 有栖川まおの愛が止まらないR

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 日本航空123便のジャンボ機が、群馬県の御巣鷹の尾根に墜落してから、今日で丁度35年となります。乗客524名のうち、520名もの命が失われた、単機での航空事故としては世界最大の事故となりました。

 事故原因は、事故の7年前に起きた尻餅事故の際、ボーイング社による後部圧力隔壁の修理が不充分だった事だと言われていますが、当時は米軍の誤射による物だとか、ジャンボ機の構造自体の問題だとか、まことしやかに噂されていたモノでした。

 この事故で亡くなった有名人としては坂本九が挙げられますが、その一方で、予定を変更した為に一命を取り留めた有名人も居ます。当時の笑点メンバーは、徳島の阿波踊りに参加する為に予約した便が悪天候の為に遅れていたので、この123便に乗り換えようとしていたのですが、こん平師匠が「決まった便でゆったり行こうよ」と提案した為に、難を逃れました。もしこの事故に巻き込まれていたら、この時点で『笑点』は終了していたのみならず、その後の落語界の様相も一変していた事でしょう。他にも、明石家さんま逸見政孝といった有名人が、直前になって別の便や新幹線に乗り換えた為に、難を逃れました。

 そして、小林源文先生の劇画でもお馴染みの中村氏が、当時入隊していた自衛隊の災害派遣でこの事故現場に派遣されて、その凄惨な光景を前にトラウマを負ったそうです。この模様は、源文先生の手によって『御巣鷹山の暑い夏』のタイトルで劇画化されています。