太平洋戦争末期の昭和20年、東京に最大の空襲が行なわれてから、今日で丁度75年となります。
爆撃にあたり、米軍は江戸時代の大火や大正時代の関東大震災における東京の火災データを念入りに調査した上で、日本には木造家屋が多いというので焼夷弾を用いる等、用意周到に爆撃を行ない、その結果10万人以上が亡くなりました。これは、原爆を除けば、爆撃による最大の犠牲者数であり、まさにジェノサイドでした。
爆撃の指揮を執ったのはカーチス・ルメイでしたが、戦後、日本政府はこのルメイに対し、航空自衛隊の育成に功があったというので勲一等旭日大綬章を授与する事に…アホか(泣)。
ところで、20年程前に私が住んでいた第5プラントは、その空襲の初弾が投下されて焼け野原と化した江東区(当時は深川区)にあったのですが、ある晩、目が覚めると、私の他に誰も居ない筈の部屋のドアの所に、見知らぬ老人が立っていたのです。「誰だ!?」と叫ぼうとしても声も出せず、身体も硬直して指一本動かす事が出来ませんでした。これが金縛りというヤツか…(汗)。今にして思えば、あれは空襲で亡くなった人の霊だったのでしょう…。