このブログ企画では、よしもと漫才劇場所属の芸人さんに

リレー形式でコラムを書いていただきます!

前回の芸人さんのコラムの中からテーマとなるキーワードを抜き出し、

自由に書いていただきます。

 

前回の担当者は、フースーヤ田中ショータイム でした!

Q: フースーヤ 田中ショータイムに聞きました。
「その学生時代に谷口とは別に友達と学祭用に組んだコンビはなんというでしょう?」

①神戸マカロニサラダ
②冬将軍
③ザ・バター


答えは、③ザ・バター

でした!

 

ザ・バターの田中ショータイムさんのネタも気になりますね赤ちゃんぴえんスター

 

 

 

 

そして今回の担当者は…

シカゴ実業 中川ひちゃゆき

前回の担当者、フースーヤ田中ショータイムさん の
コラムから選んだテーマは、、
 

「学生時代

 

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/__/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_ 

 

どんなメロディだったか今ではもう思い出せないけれど

 

学生時代のある一時、毎日のように聴いている曲があった

 

高知県の安芸市というど田舎で生まれた僕の家は

 

タバコを栽培して出荷する、タバコ農家だった

 

裕福な家ではなかったが、田舎にはありがちで家も敷地も割と大きく

 

母屋には父、母、兄、姉、僕が暮らし

 

納屋に隣り合った離れにはおじいちゃんとおばあちゃんが暮らしていた

 

見合いで農家に嫁いできた母と

 

同じく見合いで農家に嫁いできたおばあちゃんは

 

幼い僕の目から見ても決して仲は良くなかった

 

お互いに気が強い2人は事あるごとにぶつかって

 

その度に母は実家に帰ると言って家を飛び出していった

 

幼い僕は泣きながら行かないでと母に抱きついて止めようとしたが

 

母はすぐ戻ってくるからと言っていつも僕を置いて出て行った

 

僕はもう母には会えないんだと思って

 

残された家でなお泣いたのを覚えている

 

けれど母は、すぐ戻ってくるという言葉通り、夜にはいつも帰ってきた

 

母の実家は家から車で10分もかからないところにあったからだ

 

母からしたら喧嘩してムカついたから一旦喫茶店に行って落ち着く、

 

ぐらいのノリで実家に帰っていたのだ

 

当初は母が出て行く度に泣きじゃくった僕も次第にそのシステムを理解し始めて

 

3回目ぐらいには涙は一粒も流れなくなっていた

 

そうして僕が泣かなくなってからも

 

母は度々おばあちゃんと喧嘩しては実家に帰っていたのだが

 

ある時からそれがなくなった

 

おばあちゃんが認知症になったからだ

 

少しずつ物忘れが増え始めたおばあちゃんは

 

僕が中学校にあがる頃に僕のことを忘れた

 

「あんた誰やったかね?」

 

父や母からおばあちゃんが認知症かもしれないと聞かされていなかったら

 

おばあちゃん子だった僕はその言葉を受け入れられなかったと思う

 

僕のことを忘れたおばあちゃんは、姉を忘れ、兄を忘れ、母を忘れた

 

認知症になってからも息子である父と長く寄り添ったおじいちゃんのことは

 

僕らに比べて長く覚えてはいたが、それでも何年も経たないうちに忘れた

 

そうしておばあちゃんは家族のことをみんな忘れてしまった

 

優しくて物知りなおばあちゃんが大好きだった僕は

 

毎日のように記憶をなくしていくおばあちゃんを見るのがどうしようもなく嫌で

 

いつの間にかおばあちゃんが住む離れには近づかなくなっていた

 

弱っていくおばあちゃんに向き合う強さが当時の僕にはなかった

 

1人でご飯を食べることも

 

トイレに行くこともままならなくなったおばあちゃんの世話をしたのは母だった

 

あんなにぶつかり合っていた母だったが

 

母は全てを忘れたおばあちゃんに優しかった

 

母は決しておばあちゃんのことを嫌いだったわけではなくて

 

おばあちゃんもきっとそうだったんだなと僕は思った

 

僕が中学を卒業する頃、おばあちゃんはほとんどのことを忘れていて

 

大きな赤ちゃんのようになっていた

 

その頃ぐらいからおばあちゃんのいる離れから

 

オルガンの音が聴こえてくるようになった

 

聴いたことがあるようなないような、なんだか懐かしいメロディだった

 

朝、メロディが流れてくる離れの前を走って

 

自転車に跨り学校に向かうのが日課だった

 

ある時、父にオルガンの曲について聴いてみた

 

女学生時代に習った曲だろうと、父は言った

 

父が幼い頃、おばあちゃんが弾いてくれたそうだ

 

もしかしたら記憶のない幼い頃

 

僕にもこの曲を聴いせてくれていたのかもしれない

 

孫も子供も夫も仕事も戦争も全て忘れてしまったおばあちゃんが

 

唯一忘れなかったのは女学校の頃習ったその曲だった

 

今もうどんなメロディか思い出せないけれど

 

おばあちゃんのことは今でも思い出せる

 

今もまだ思い出している

 

 

 

 

〈プロフィール〉

シカゴ実業 中川ひちゃゆき(写真左)

NSC32期生。 相方は山本プロ野球。

NSC大阪31期生(山本)と、NSC大阪32期生(中川)の先輩後輩コンビ。
中川は、第4回上方漫才協会大賞ブサイクランキング4位。
主催ライブ「濁」は漫才劇場を代表する人気のユニットライブとなっている。

 

シカゴ実業のネタ動画はこちら!

 

/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/__/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_ 

 

 

第148回目の「マンゲキ芸人リレーコラム」
中川ひちゃゆきさんのコラムはいかがでしたか?

 

中川さんと家族の優しさが感じられるお話でしたねちょうちょ

そして中川さんはおばあちゃんっ子だけでなく

顔までも家族代々そっくりだったみたいですね照れ

 

 

次回の 「マンゲキ芸人リレーコラム」  更新は、2021年12月13日(月)です!

よしもと漫才劇場公式Twitterでお知らせ致しますので、

ぜひチェックしてくださいね!キラキラ

 

********************************

 

本日コラムを書いた芸人から自身にまつわるクイズや豆知識を

出題いたしますので、ぜひコメント欄に回答してください照れキラキラ

 

Q.僕のおじいちゃんは戦争の頃ある理由で

徴兵に行くのを免れたのですが、その理由は何でしょう?

 

1.神童と呼ばれるほど学歴が高かったから

2.戦力にならないくらい背が低かったから

3.偉い人とズブズブの知り合いだったから


正解は来週のコラムで発表致します!

 

最後までお読み下さりありがとうございました!

 

…・…・……・…・……・…・…

よしもと漫才劇場ホームページ>>HP

 

Tik Tok  よしもと漫才劇場公式TikTok

マンゲキメンバーの愉快な動画を随時更新中!

 

Twitter@manzaigekijyo

最新情報を随時更新中!

 

Instagramyoshimotomanzaigekijyo

最新情報やマンゲキメンバーのオフショットを随時更新中!

 

LINE LIVEフレンドリーLIVE

マンゲキメンバー出演の番組を毎週配信中!

 

Blogマンゲキブログ

グッズ情報やライブレポートを随時更新中!

 

Youtubeよしもと漫才劇場チャンネル

マンゲキメンバーのネタ動画やおもしろ動画を随時更新中!

 

チケット購入>>チケットよしもと

・…・…・…・…・…・…

 

森ノ宮よしもと漫才劇場が2020.12.1より公演スタート!

大阪市中央区大阪城3番6号 クールジャパンパーク大阪 SSホール

ホームページ http://www.yoshimoto.co.jp/morinomiya_manzaigekijyo/