好きこそものの上手なれ

好きこそものの上手なれ

“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”
-風立ちぬ、いざ生きめやも-
~Paul Valéry~

医薬翻訳を生涯の仕事にするために、

日々、努力していることを綴ります。

身のまわりで起きた小さな出来事や発見、感動も記録していきます。

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娘は3歳の頃からピアノを習っている。

私は音楽が全く出来ない。

どんなジャンルでも聴くのは好きだが、楽譜は読めない。

そんな劣等感からか、娘には音楽に関する教養を身につけさせたいと思った。親の勝手な自己満足だ。

結果、彼女にとても合っていたと思う。コツコツを積み上げる作業が得意なようで、練習が全く苦痛ではなかったようだ。

とは言え、中学の部活は女子バレー部で、高校は女子バレー部のマネージャーをやっているのだから、生活に繋がっていないと思われるが、中学校の合唱コンクールでは3年間、クラスの伴奏を引き受けたし、高校の選択授業で音楽を選んだ。

ただし、将来に夢には繋がっていない。今のところ。

小学生の時は「学校の音楽の先生になりたい」などどいって、親を喜ばせてくれたが、今思えば、3歳から習わせてくれた親への気遣いだったんだと思う。

中学の時に吹奏楽部を選ばなかったこと、高校でもギターアンサンブルや管弦楽器の部活があったのにも関わらず、音楽を選ばなかったことが物語っている。

そして成績を見る限り、理数系なのだ。

理数系が音楽を嗜んではいけないということではないが、今後、何か大事な将来を決める時、音楽を一番に選択することはなさそうだ。

一度に3音まで聞き取れる絶対音感だって持っているのに。

それとこれとは別と行った感じだ。

 

息子は5歳の時からピアノを習っている。

彼はもともと性格が明るく、音楽を習わせなくとも体に音楽が染みついているような子だ。

気に入った曲を適当にごまかし(アレンジとは言い難い)、鼻唄をうたっている。

家でも外でも学校でもだ。

一応、絶対音感を持っているが、そんなものは彼には関係ない。

アニメでもクラッシックでもJ-POPでも、気に入れば鼻唄だ。

そして最近はギターを弾きたいといっている。

息子の場合は、楽器にこだわりはなく、ピアノもギターも音楽の1部でしかないと思っている。楽譜が十分に読めるようになれば、いろいろな楽器にチャレンジさせてもよいかもしれない。

息子もまた、将来を決める時、音楽を一番に選択することはないかもしれない。

しかし鼻唄は残るんじゃないかと期待している。

ここ数日、息子がずっと「猫を飼いたい」と言っている。

相棒は欲しいようだ。

近所に捨て猫はいないのかと探したりもしているが、昨今、住宅地内で捨て猫など皆無だと思う。

 

私は動物が好きなので、猫でも犬でも飼いたいと思う。

でも、旦那さんが無理なようだ。金魚までなら大丈夫なんだと。 

何を考えているのかさっぱり分からない。

 

息子が猫を飼いたいのはよく分かる。

学校から帰宅してもずっと家に居るからだ。

放課後だけじゃない。

きっと夏休みもそうなると思う。

平日は、私が外出しない限り、ずっと家にいる。

一人での外出は難しく、痛みに対する不安があるのだと思う。

去年はよく遊びに出かけていた。

学校が終わると近所の友達が誘いに来てくれ、玩具の鉄砲をもって、声で撃ちあっていた。

それにしても男の子たちの遊び方は本当に面白い。

玩具の鉄砲で遊んだかと思えば、10分後に鬼ごっこが始まり、10分後に自転車で近所を乗りまわし、10分後にDSでゲームをし、10分後にサッカーをしている。

そして、気がつけばまた鉄砲で撃ちあっている。

素晴らしいと思う。その行動力というか瞬発力というか。

まるで遊園地の中で遊んでいるかのよう。

今の息子には全くついていけない。当然である。

 

そんな中、先週末の夕方、思いがけないことが起こった。

自宅の近くで子猫の鳴き声がしたのだ。

みゃーみゃーみゃー・・・

息子が大喜びで、こっそりと庭へ向かった。

息を殺し、身をかがめ、忍び足で。

とても捨て猫を拾うといった雰囲気ではない。

そして、本当に庭に子猫がいた。私も息子も神様からの贈り物かと思った。

しかし、子猫は息子の姿を見つけるとサッと身をかくし、どこかへ消えてしまった。

その後、親猫の鳴き声が聞こえた。

「きっと、親子で散歩に来てたんだよ。」

肩を落とす息子を慰めた。

 

息子を事を考えると猫を飼ってもいいかなとも思う。

でも私が躊躇している本当の理由は、もしも病気になったらどうしようかという不安だ。

もうこれ以上、小さな命の心配をしたくないのだ。

先日、高1娘と神戸ワールド記念ホールへライブに行った。

SEKAI NO OWARI である。

娘からこの名前を聞かされたときは、つい「曲名なの?バンド名なの?」と聞いてしまった。 ネガディブなイメージしかなかったからだ。

結果、バンド名だった。 (あぁ、やっぱりもうついていけない。。。)悲しかった。

言われるままに車内でのBGMは彼らの曲ばかりになった。

ところが、意外にもボーカルの声がきれいだった。

ネガティブでロックなイメージが、きれいな声で歌う明るいバンドになった。

 

娘が中2の冬、受験の景気付けにと大阪の京セラドームまでライブに行った。

ライブ全体が一つの物語のようになっており、彼らに対する世界観がまた広がった。

この思い出なら娘も一生覚えていてくれるのではないか。

 

受験も無事に終わり2度目のライブ。ファンクラブでもないのにアリーナ席が取れた。

しかし、席に着いてみるとほぼ一番後ろの席だった。

まぁ、当然だとは思うが、ほとんど見えない。

 

ライブが始まった。

大音量の中、きらびやかなステージの中で、光を使った最新の演出。

娘と手をたたいて喜んだが、完璧な予定通りの進行に何だかついていけなかった。

彼らのライブは最後かな。遠くてよく見えないし、テレビの方がいいのかも。

周りの雰囲気に飲み込まれて、別世界だと感じた。

歌声は本当にきれいだった。

 

しかし、ライブの中盤、今までただ歌い続けていたボーカルの子がしゃべりだした。

"こんなライブは機械化されてすごいって思うけど、人間らしさを伝えたい”と。

言葉を一つ一つ選ぶように、考えながら、延々と話しだした。

"日々の生活で寂しいと感じたら、外に出て、人と話せばいい。世の中、そんなに悪いことばかりじゃないって分かるから”

 

ライブの終盤にもたくさん話をしてくれた。

発達障害からくる精神病で長い間、闘病していたこと。

その時の自分があるからこそ、その延長線に今の自分があること。

今、壁が目の前にあっても努力することが大切だと。

 

息子の事を思い出し、心が少し軽くなった。

 

とはいえ、実は今回も(前回も)、息子には完全に内緒なのだ。

言えば、絶対に泣く。行きたかったと。

次にライブへ行ける機会があれば、息子も連れてこよう。

 

「テレビのように姿が見えないかもしれないけど、ちゃんと話しかけてくれるんだよ。」