奇妙な鳥の絵が描かれたのれんをくぐって、店の扉を開けると。
カウンターの一番奥に、真川奈津子は座っていた。
何で焼き鳥屋・・・・・・
落ち合う場所に指定されたのは、あたしの家からそんなに遠くない、商店街のはずれに佇む焼き鳥屋だった。
「らっしゃーい」
ジョッキを掲げて微笑みながら、真川奈津子が隣りの席に置いていた自分の荷物をよける。
ここに座れというふうに、椅子をがしがし叩いた。
「だいぶ飲んでる感じなんだけど・・・・・・そんなんで真面目な話なんかできんの?」
「だーいじょーぶだいじょーぶ」
・・・・・・ダメだ、完全に酔っ払ってる。
「しかもあたし、一応未成年なんだけど。よくこんな所へ呼び出してくれるよね」
「だーいじょーぶだいじょーぶ」
まさか、このやりとりで終わっちゃうようなこと、ないよね。
いよいよ本気で心配になってきた頃。
あたしが注文したウーロン茶と、冷やしトマトが運ばれてきた。
あたしの前に置かれた、赤く熟れたトマトに。
あたしよりも早く、すーっと、真川奈津子の手がのびてきて。
細い指で、じかにトマトをつかむと、嬉しそうに口の中へと放り込んだ。
初めて会ったとき。
この女のことを、魔女だと思った。
嫌な思い出しか、ない。
奈々実のこと、攫うとか言って。
あたしのきもち、波立たせて。
けれど、今思うと、あれは、真川奈津子に試されてたのかもしれない。
あたしの、奈々実への想いが、どんくらいのものなのか・・・・・・
そんなことをする理由って、何だろう。
今度は、そのことが頭ん中でぐるぐるまわってた。
「奈々実と・・・・・・最近、会ってるの?」
突然。
真川奈津子が、キリッとしたまなざしで、言葉を投げかけてきた。
さっきまでの酔っ払いぶりが、嘘のようだ。
「いや、主に、電話だけ。奈々実も、今はコンクールに集中したそうだったから」
「かわいそー。おあずけくらってるんだ」
おあずけって言うな。
ますます、実感が湧いてくるじゃん。
「本気で、全国へ行きたいんだって、言ってるよ、奈々実は。どうなの?状況は」
当の指揮者がそんなふうだから、心配になる。
「今の状態だと、全国は見えてる」
真川奈津子が、皿の上に残っているトマトを見つめながら、言った。
何の迷いもなくそう言い切ったから、少し安心した。
奈々実の頑張りも報われそうだし。
そして、あたしの我慢も報われそうだ。
「・・・・・・と、思ってた」
ずっこけそうになる。
「なに、それ?!」
思わず、真川奈津子の方へ前のめりになりながら、叫んだ。
「どういうことなの?」
「奈々実の腕が、今、使えない」
「・・・・・・は?」
「合奏中、奈々実の異変に気づいて、保健室つれてって。腕を見たら・・・・・・酷いことになってた」
体中から、血の気が引いていくのがわかった。
真川奈津子も、痛々しいものを見たときのような表情へと変わっていく。
「物凄く、腫れ上がって、真っ赤で。男ものの、指の跡までついてて。あれじゃあ、ティンパニ叩くのは無理だ。湿布貼って、治療最優先にする約束をしたけど・・・・・・秋、あの子から何も相談されてない?ストーカーにあってる、とか」
力なく、首を横に振る。
そんなの、相談されたことなんか一度もない。
「じゃあ・・・・・・コンクールに、出られないって、こと?」
少しの間を置いて。
真川奈津子が、苦しそうに答えた。
「私は、出てもらうつもりでいる。けど・・・・・・」
奈々実に話があって、楽器室の扉を開けようとしたら、中から、奈々実と3年生のパーカッションの女子が話をしている声が、漏れ聞こえてきて。
息をひそめて立ち聞きしていたら、信じられないことを、奈々実が言ったって。
ガラにもなく。
両手で顔を覆いながら、真川奈津子はうなだれた。
「『すぐに、ティンパニパートの練習をして欲しい。わたしはもうすぐ、叩けなくなるかもしれないから』って。お願いしてんの、3年生に」
顔を覆う手が、少し、ふるえているように見えた。
「ダメなのに・・・・・・奈々実じゃなきゃ、嫌だ、私は。あの子のティンパニじゃないと」
あの子は、何かをひた隠しにしてる。
秋、奈々実を、守れ――
完全に、酔いの醒めた顔で。
まっすぐな、まなざしで。
真川奈津子は、あたしに頭を下げた。