コンクールまであと3週間に迫った日曜日。
晴れてはいるけれど、梅雨独特のむしむしとした暑さが、からだ中にまとわりつくのが気持ち悪かった。
もうあと数日で、学校も夏休みに入る。
汗が、こめかみからあごへ向かって、すべり落ちた。
「ティンパニ!そこ、もっとちゃんとブレスして、木管と入りをそろえるっっ」
とんできた真川さんの指示に、わたしは「はい!」と返事をしつつ、急いで赤ペンを持った。
譜面にブレス記号を素早く書き込む。
そしてペンを置くと、またすぐにマレットを握りしめた。
真川さんは、すでにカウントをとりはじめている。
言われた通り、大きく息を吸って、マレットを振り下ろす。
今度は怖いくらいぴったりと、木管の旋律に、寄り添えた。
真川さんは一瞬だけ上目づかいにわたしを見ると、口の端っこだけで笑った。
それは、彼女の、「グッジョブ」っていう、サイン。
でも、またすぐに、真川さんのタクトがとまる。
「ホルン!ピッチ気持ち悪い、幽霊でてきそう」
脇に置いてあるチューナーを持つと、真川さんはホルンに合図を送る。
ホルンのトップから順に、指摘された音を吹いていく。
全員吹き終えると、真川さんは3番目に音を出したセカンドのおんなの子に向かって言った。
「あんたが気持ち悪くしてるの、わかるよね?明日までに、絶対この音で吹けるようになってきて。そうでなきゃ、ここのフレーズ、あんただけカット」
おんなの子はふるえる声ではいっと返事をした。
――きびしい。とくに、ピッチに対してものすごく。
中学時代を思い出す。
3年間、全国大会を目指す、吹奏楽部にいた。
3年間、支部大会まで出場し、金賞をとった。
そのうち、わたしが3年のときに、5年ぶりの全国大会出場へこぎつけた。
そのときの練習風景は・・・・・・
地獄絵図。
「あー。あっちーな。蝉もうるさいし、気が散る。山田っっ」
真川さんは、タクトを乱暴にスコアの上に置くと、部長である山田先輩のなまえを呼んだ。
「はい」
「あんた、どっか部屋、交渉できないの?防音で、涼しくて、集中できるところ」
山田先輩は一瞬、口をへの字に曲げたけれど、すぐに返事をした。
「午後からなら、視聴覚室が使えるかと」
「それ、今すぐ押さえろ。それから、コンクールまでずっと、押さえろ」
「・・・・・・先生方にきいてみないことには」
「何がなんでも押さえろ、それがあんたの役目だろ」
ドラムスティックをスネアの上に置くと、山田先輩は駆け足で音楽室を出て行った。
部員の間に、不穏な空気が漂う。
漂わせたのは、明らかに、真川さんだった。
わたしは、何となく、感じてた。
最近になって、特に。
真川さんは・・・・・・もしかして、遥かなる高みを目指してるんじゃないだろうか。
今のわたしたちが、考えるのもおこがましい、『全国大会』。
となると、この厳しさなんてまだまだ序の口だ。
どうして、みんなに言わないのかな・・・・・・
わたしたちの高校の吹奏楽部の経歴を見ると、今までに全国大会へ出場したことなんて当たり前のように一度も無く、県大会で金賞をとったことすら、片手で数えられる程度だった。
全国大会へ出場するためには、県大会を突破して支部大会に進み、そこで代表に選ばれなければならない。
確かに先輩たちは、一度でいいから金賞をとりたいって、意気込んでる。
山田先輩も、金賞とりにいくって、宣言してる。
わたしたちが目指しているものは、県大会での『金賞』だ。
『全国』なんて、夢見ることすらもしていない。
もしも、全員のこころをひとつにして、全国大会を目指すなら。
それなりの覚悟が、いる。
「視聴覚室、確保、できました!昼休みの間に、楽器を移動!」
ぜーはー息を切らしながら音楽室へすべりこんできた山田先輩が、真川さんとみんなに向かって言った。
真川さんが、指揮台からおりる。
それを合図に、みんないっせいに立ち上がった。
「ありがとうございましたーっっっ」
午前の合奏終了。
みんな、わらわらとはけていく。
そんな中。わたしは、真川さんめがけて、歩を進めた。