「あったかいコーヒーふたつ。あ、やっぱひとつだけカフェオレで」
ゆるいジャズが流れる古びた喫茶店の片隅。
色のはげかけたソファに、わたしは真川さんと向かい合って座っていた。
真川さんはカウンターの髭もじゃのマスターにそう注文すると、バッグの中からコンクールのスコアと、ウォークマンを取り出して、イヤホンを耳に突っ込んだ。
真川さんとは、車の中でも、ひたすら喋らなかった。
絶対何かきかれると思って、身構えてたのに。
通学カバンも持たず。
制服のままで。
夜の9時すぎに。
あんなところで。
ひとりで突っ立って。
何してんの?
って。
きくでしょ、フツー・・・・・・
「どうぞ」
わたしの前に、いれたてのカフェオレが到着した。
真川さんは、スコアに没頭していて、コーヒーをテーブルに置く髭もじゃのマスターには見向きもしない。
マスターは、まるで真川さんの邪魔をしないかのように、こなれた手つきでスコアをよけた脇に、真川さんの分のコーヒーを置いた。
「ありがとうございます」
わたしはマスターに、お礼を言った。
マスターはもじゃもじゃのまゆ毛をひょいっと上げると、微笑みながら口を開いた。
「びっくりした」
「・・・・・・え?」
「いや、なっちゃんからはお礼なんて言われたことなかったから。そんな子がこんな子連れてくるなんてって。びっくりした」
「なっちゃん・・・・・・って、真川さんのこと、ですか?」
「うんそう。真川奈津子(さながわ なつこ)。この子は初めてここへ来たときから、こんなだから。スコアひろげて。イヤホン耳につっこんで。眉間にしわよせて。ね」
マスターがあごで真川さんを指したので、彼女へ視線を戻すと。
なるほど。
真川さんの眉間に、むむむーっと、しわがよっていた。
美人が台無しだ。
額に左手のこぶしをあてて。
右手にえんぴつ持って。
肩が少し揺れてるのは、拍子を取っているためだろうか。
「ゆっくり、していってね」
髭もじゃマスターはそう言うと、カウンターの中に戻って行った。
調理はすべて、カウンターの中でできるようになっているようで。
店内には、コーヒーのほろ苦い香りが、ただよっていた。
何でわたしのぶんは、カフェオレにしてくれたんだろう・・・・・・
でも、ひとくち飲んでみて、わかった。
「どう?苦い?」
ふたくち目を飲もうとしたら、ふいに真川さんが声をかけてきた。
片方だけ、イヤホンはずして。
「いえ。でも、コーヒーだったら飲めなかったかもです。カフェオレにしてくれて、ありがとうございます」
けっこう、苦めのコーヒーをいれるマスターなのだった。
でも、その苦めのコーヒーがきっと、真川さんはお気に入りなんだろう。
ひとくち飲むと、ふっと、彼女の顔がゆるむのがわかった。
眉間のしわも、少しほどけたみたい。
カフェオレが。
のどに、しみこんでいく。
どれだけ走ったかわかんないくらい走ったから。
のどがかわいてたのかもしれない。
秋は今、どうしてるんだろう・・・・・・
ぽたぽたっと。
テーブルに、しずくが落ちた。
きっと、真川さんは、気づいてるだろう。
わたしの目からこぼれ落ちるしずくに。
わたしのからだが、小刻みにふるえてることに。
なのに、なんで何も、きいてくれないの?
落ちていくしずくは、雨粒みたいに。
どんどん、どんどんつながって。ひろがって。
テーブルの上に、小さな水たまりをつくりそうになっていく。
なによ、わたし。
きいてもらいたいの?
何があったか。
真川さんのイヤホンを、思いっきり、ひっぱった。
真川さんは、少しだけびっくりしたように、目を見開いて。
けれどすぐに、困ったように笑って。
「拾ってくれたんなら、何があったの?くらい、きいてください」
わたしがそう言うのを、待ってたみたいに。
「ききましょうとも。奈々実が話す気になったのなら」
やっとか、みたいな。
表情で。
スコアをとじた。