城下町しばた職人巡り
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「菓匠庵 寿堂 ~慈しみの和菓子~」

旧新発田城の大手門があった界隈は、今でも仄かに城下町の雰囲気を漂わせる。
大手門があった場所、現在の裁判所や警察署から新発田城へと続く道沿いには新発田市役所や文化会館などがあり、整備された文化エリアの如き通りとなっている。
以前は図書館(昔の)や立派な設えのお屋敷などが立ち並ぶ所謂ハイソな街であった。
現在では市役所の駐車場や蕗谷虹児記念館や文化会館に姿を変えたが、かれこれ半世紀を新発田で過ごした筆者は、消えゆく城下町の街並みが寂しく残念でもあるのだが。
今でもこの界隈の裏通りを散策すると、蔵のあるお屋敷や立派な塀が立つお屋敷など,城下町の片鱗が見て取れるが、件の「菓匠庵 寿堂」はそんな中に堂々と“在る”。
なんというか唯そこにお店が「有る」というのでは無いのだ。
お店も品物もドンと「存在」する感じ。
品揃えやお菓子のバリエーション、そして雰囲気。
まさに「存在感」を放つ和菓子屋さんなのだ。

「菓匠庵 寿堂」といえば、まず浮かぶのが「のしいちじく」だろうか。
新発田の五十公野地区で産する“蓬莱柿”(ほうらいし)という特別な無花果を用いたジャムを寒天と共に練り上げたお菓子で、秋篠宮さまへの接待菓子ともなったことで有名である。
無花果の独特の香り、そして食感がたまらない逸品である。
しかしである。
実は筆者は寿堂の「石衣」、所謂“松露“がたまらなく好きなのだ。
上品な甘さと、しっとりとした舌触りのアンコが堪らない。
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今まで筆者の中では“松露”といえば京都の二条通りにある「二条駿河屋」が不動のナンバーワンであった。
小ぶりの松露は餡が上品な甘さで、外にかかる糖蜜が甘すぎず角が立たない。
それを超えるお店は、いや、むしろ並ぶお店さえ、そうそう存在しないであろうと思っていたのだ。
が、在った。
それが「菓匠庵 寿堂の“石衣”」であったのだ。
なんともはや、灯台もと暗しとはこの事である。
筆者の母はお茶を嗜むのだが、お客様がある時には寿堂の「石衣」を用意している。
寿堂の石衣(松露)は、二条駿河屋の松露に比べるとかなり大振り。
二条駿河屋のそれは“お茶うけ”なのであろうが、寿堂の石衣はお茶席の菓子なのだ。
楊枝を入れると小気味よくサクッと糖蜜が割れ、中からしっとりとした餡が顔を見せる。
餡はなめらかで甘さを主張しすぎない上品な味。
糖蜜も角が立たないほど良い甘さで、互いが助け合い、良いバランスを保つ。
実は自店で小豆から生あんを作っているのは新発田の和菓子屋さんでは寿堂だけなのだそうだ。
一般的に小豆の生あんを作る専門業者より仕入をするのだそうだが、寿堂は一から作りあげ、その製造方法は企業秘密が多いとのこと。
なるほど旨いわけである。
餡がしっとりと寿堂を物語るようだ。
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四代目店主である鈴木健太郎氏は、京都の私立超有名大学で学んだ秀才であるが、お話を伺っていても“秀才”であることが会話の端々から窺える。
そんな秀才がお店を継ぎ、四代目としてどのようにお菓子を作るのだろう。
そんな興味を抱きながら健太郎氏のお菓子作りを眺めていた。
さぞや険しい顔をしながら、緻密に計算しながら作っているのだろうかと。
ところがである。
健太郎氏の菓子作りの際の表情はまるで筆者の想像とは違っていた。
微笑んでいるのだ。
和菓子を我が子を抱くように、その手で柔らかく包みながら微笑んでいるのだ。
練り切りで餡をくるくると包みながら、色の違うものを合わせ、グラデーションを創り出しながら柔和な笑顔で形作っていく。
その動きはどこまでも柔らかい。
ひたすら楽しそうにお菓子を作っていくのである。
ご本人の自覚があるかは不明だが、おそらく天職というのはこういった事を指すのではないだろうか。
その掌から作り出されるお菓子の数々には慈しみの心も練り込まれているようだ。
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菓匠庵 寿堂
 新発田市大手町4-1-16
 0254-22-2831
 月~土曜日 9:00~19:00 日曜日 9:00~16:00