Fさんのことは20年経った今でも鮮明に覚えている。
数カ月前に出会ったSさんもこの先ずっと忘れられない患者さんになるのだと思う。
Sさんは60代後半の女性で『腹痛』という主訴で入院していた。
いろいろ検査をしたが、60代後半という年齢もあってあれこれと小さな問題は見つかったが、これという腹痛の決め手になるような原因が見つからず、主治医たちは『不定愁訴』と解釈し始めていた。
Sさんの部屋に入るといつもどんよりした雰囲気で『今日は気分はどうですか?』と聞くと返答はだいたい『相変わらず痛い。痛くてしんどくて吐き気もしてくる。でもどうせあなたたちはみんな早く私が死ねばいいと思ってるんでしょう。
私はこんなにしんどい言っているのに医者たちはろくに私の話も聞かないし・・・』と、こんな感じだった。
痛み止めは予め十分に処方されているので患者さんが痛みを訴えれば私たちナースはすぐに痛み止めを投与することが出来る。
でも痛み止めを投与したところでSさんの痛みが軽減することはなくずっとベッドで横たわったままだった。
そしてまた『誰も私のことなんて気にしてないし、私の訴えなんか信じてないでしょう・・・』と。
そうしてる間にSさんの状態は少しずつ悪化していった(精神的にも身体的にも)。
ある日の朝、Sさんの受け持ちになった。その時点でSさんは3週間ぐらい入院していたが私はたまたま実際にSさんを受け持ったことがなかった。
Sさんについては他のナースから噂で聞いていたので受け持つ前からSさんがどんな人なのかなんとなく想像がついていた。
朝の挨拶をしに部屋に入ってみると噂に聞いてた通りどんよりしている。
『今朝は気分はどうすか?」と聞くと『痛い。しんどい。吐き気もする。もう嫌だ・・・』と言う。
まずは痛み止めを投与し痛みが落ち着くか様子を見てみた。
しばらくして部屋に戻り痛みがどうかと聞くとこっちに背中を向けたまま『痛み止めなんて全く効かない。効いたこともない』という。
私はSさんに『じゃぁ何がSさんの痛みに効くと思いますか?私が何か出来ること、持って来れるものはありますか?』と聞いていた。
するとSさんはしばらく考えて『私の背中をさすってくれる・・・?』と言った。
『もちろん』
と言って私はSさんの背中をゆっくりさすった。さみしそうなSさんの背中をSさんが満足するまでさすっていようと思った。
多分実際にさすっていたのはものの2~3分だったと思う。今までずっと背中を向けていたSさんがこっちを向いて『ありがとう。助かったわ。痛みが随分和らいだわ。また痛くなったら私の背中をさすってくれる?』と言った。
Fさんの時と同様、心が通じたと感じた。Sさんの孤独感を少し和らげることが出来た気がしてうれしかった。
私は『もちろん。いつでも呼んでください。いつでもさすりますよ』と返答した。
その日の午前中、Sさんから数回ナースコールがなった。背中をさすってほしいと。
今まで聞いたことがなかったSさんのお子さんたちの話を聞いたりしながらSさんが満足するまで背中をさすった。
その日のお昼過ぎSさんの容態が急変した。Sさんの病室の状況は一変した。
10人以上の医師と10人以上のナースで部屋が埋まった。いろんな処置や検査が次から次へと行われた。
結果、Sさんは緊急手術が必要だということになり手術室に送り出すことになった。
手術室に移動する直前、酸素マスクやあらゆる管につながれたSさんが私を呼んだ。
そして酸素マスクを外すように私に頼んだ。
私はSさんに頼まれた通り酸素マスクを外すとSさんが『あなたの頬にキスさせてちょうだい』と言って私の頬にキスをした。
そして
『Thank you and I love you』
これが私が聞いたSさんの最後の言葉。
『ここで待ってるからね。手術頑張ってきてね。またここで会おうね』
これが私からSさんの最後の言葉。
Sさんはそのまま病棟に戻ってくることはなかった・・・
Sさんの死は私の心に重くのしかかった。乗り越えるのに数週間かかった。
Sさんを思い出すたびに涙が溢れた。
私は患者さんに感情移入しやすい方だと思う。患者さんが亡くなると多かれ少なかれ悲しくなる。
涙が出ることも少なくない。そして何年も何十年も記憶に残る。
でも数日経っても悲しくて涙が出るほど引きずったことはない。
なぜそこまで引きずったのか。
多分Sさんの最期を病棟で看取れなかったことがSさんの死を乗り越えるのに時間がかかった一番の原因だと思う。
『みんな早く私が死ねばいいと思ってるんでしょう』と思ってしまうほど孤独を感じていたSさんの背中をもっとさすって少しでも心穏やかに最期を迎えられるように手助けがしたかった。それが出来なかった。でもSさんは最期は家族に見守らて息を引き取ったと聞いて少し心が救われた。
Sさんの存在は20年前のFさんの思い出させてくれた。そして『患者さんと向き合う心』の大切さを再確認させてくれた。
きっとSさんはこの先ずっと私の記憶の中に残っていくんだと思う。