私はバリの警察に助けられた。 | Many Happy Child

私はバリの警察に助けられた。


最近のバリでの事件のニュースを見てふと、でも結構詳しく思い出した。

ボランティアで、バリに行ったのをきっかけにバリ好きの仲間ができ、会いたい子たちができ、バリでの家族ができた。

4年前くらいの2回目のバリ。

ボランティアで一緒だったさやちゃんとバリの家族のもとに泊めてもらいながら、毎日会いたい子どもたちのところへ通っていた。

観光地がたっくさんあるにもかかわらず、そんなものには目もくれず。

現地の人さながら強い光の中毎日毎日歩いてた。

いや、現地の人は暑い時間帯は出歩かないのだけど、私たちは歩いてた。

とにかく子どもたちと時間を過ごしたくて。

ある日、子どもたちがバリの中では芸術で有名な町ウブドのホテルでバリダンスを踊るというから、

観に行くことになった。

ウブドは私たちが泊まっていたところからは結構な距離。

行きもいろいろバスやら車やら乗り継いでやっとのことでたどり着いた。

女の子達は化粧をし、華やかな衣装をまとっていた…

それは彼女たちにとっては仕事で、生きていくためにやらなきゃいけないこと

ほんとは家族と一緒に過ごしたいけど、そうできない様々な理由を抱えていた

だから、その時の私には子どもたちを働かせてるようで

それを見に来ている観光客の人たちに対していい気はしなかった。

この人たちはこの子たちがどんな思いで踊っているのか

どんな状況にいるのか

知らず、楽しんでいるんだよな…

なんて思っていた。

でも、今はそれも私の中のひとつの意見

いろんな見方があるから、何がどうというのは正直わからなくなってる。


で…

その日の帰り道。

子どもたちの踊りを観たり、話したりして過ごした後、

あまり遅くなると暗くなってしまうからと夕方には出発。

私たちはいつもそうしていたのだけど

少しでもタクシー代を減らすために歩けるだけ歩いて

疲れたらタクシーを探す。

その時もその方法をとっていて、

何台か私たちを追いこして通りすぎていった。

まだまだいけると何時間か歩いていると

だんだんあたりは暗くなってくるし

タクシーもなかなか通らなくなって

人の気配でさえなくなってきた。

観光地で安全とは言われてても

さすがに20才そこらの女の子が2人

真っ暗な中

さすがにちょっと恐くなるし

次タクシーがきたら乗ろうと決めた。

けど、どんだけ経っても

タクシーはこないし

おまけに雨まで降ってきた。

雨に濡れながらひたすら歩く。

雨宿りや休憩できそうな場所もなく

ただ歩くしかなかった。







すると目の前に小さな交番。

私たちはそこも通り過ぎようとしたのだけど、

警察の人に話かけられた。

こんなとこに女の子2人なんて危ない

もうタクシーはここは通らない時間だ

と言って、私たちをバイクの後ろに乗せてくれることになった。

私たちは半信半疑。

着いたところは、警察の人の家。

中に入るとたくさんの家族と子犬。

大柄な女の人がびしょ濡れになった私たちを迎え入れてくれた。

飲み物をくれたり、話しかけてくれたり

あたたかく迎え入れてくれていて

雨がひどいし、一泊して明日帰ったらどうだと言ってくれた。

しかし私たちは心細いのと、バリの家族が恋しいので

どうすれば帰れるか必死で考えていた。

外は土砂降り。

これ以上はバイクではいけない。

でもその家には車はない。

もうタクシーも走っていない。

そんな状況の中、家族の人たちも一緒にいろいろ方法を考えて

いろなところに連絡してくれて、車を借りてきてくれた。

土砂降りで真っ暗。

車でも結構危ないのに、車をだしてくれた。

車を運転してくれたのは、大柄な女の人で

車内でも終始、へこんでいる私たちに明るく話しかけてくれていた。

バリの家族に会えた時は安心して泣きそうだった。

私たちを送った警察の家族の人はまた暗い道を帰っていった。


あの時の出来事は、今でもすごく強く印象に残っている。

あの日の夜、安心してベットで寝られたのは

あの人たちのお陰。

バリでの事件がどうこうじゃないけどさ

あの時のことを思い出して

書いておきたくなった。

その時一緒だったさやちゃんは青年海外協力隊でアフリカの空の下。

あいかわらず、こどもたちと元気いっぱい走り回ってるんだろーな。

来年には、あとボランティア仲間3人が青年海外協力隊でいろんな国の空の下。

みんなが安全で健康で過ごせますように。