【希死念慮】という【症状】 | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

「死にたい」
ともらした時に返ってくる言葉は
100%響かない。

「大丈夫だよ」
「世の中には生きたくても生きられない人もいる」
「命を大切に」

そんな聞き飽きた言葉達は
余計に私を苦しめるだけだった。

「死にたい」時は
「死ぬ」ことしか考えられなくなっている。

自傷行為や大量服薬(OD)を繰り返してきた私も
最近はより具体的かつ確実な「死ぬ方法」を考えるようになった。

自傷行為や大量服薬で死ねるわけがない。



私には
「積極的に死にたい時期」と
「消極的に死にたい時期」がある。

具体的な「死ぬ方法」を考えている時は
「積極的に死にたい時期」なのだと思うようにしている。

対して
「消極的に死にたい時期」というのは
「運良く死ねないかな」といった感じの
死に対する淡い期待をしている時期なのだと思う。



でも
私は本当は「生きたい」のだということも分かっている。

「死にたい」という【希死念慮】は
私自身が心からそう思っているのではなくて
病気がそう思わせている、
つまり【症状】なのだと思うようにしている。

【症状】だと思えば
【病気のせい】にできる。

【病気のせい】にできれば
少しだけ心が軽くなるような気がしている。



双極性障害、
私はその鬱の波にのまれている。

「死にたい」と思うのも
何もできずに寝ているだけなのも
ご飯が食べられないのも
お風呂に入れないのも

全部【症状】なんだと思えば
病気がそうさせているだけなのだと思えば

「またいつかは良くなる」
そんな風に思うことができるような気がする。

今は、耐えるしかない。

「死にたい気持ち」を行動に移さないために
危ないものは排除して
ただ、耐えるしかない。

私は、死にたいわけじゃない。

本当は「生きたい」のだと。

それを忘れずに
つらい日々をなんとかやり過ごしていきたい。