元夫とはうまくやれても | ASDとともに

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ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

元義両親とはうまくやれそうにないなぁ。

というか、
うまくやる気もない、
というのが本音。



元義実家は、
定年を迎えた元義父と、
6歳年下の元義母。

何というか、
世間体を第一に考えるというか…
だから、
元々私(当時バツイチ、しかも子持ち)との結婚も、
賛成はしてなかったんだろうと思われます。

元義母は、
「私達は子育てを間違えた」
と事あるごとに言っていて、

元夫は元義父から虐待を受けて育った(らしい)のだけれど、
「顔は目立つから体にして」
と言う元義母だったとか。(元夫談)

元義弟とは音信不通、
知り合ってから離婚するまでの約10年、
元夫も、
一度も会ったことがない。 

元夫は仕事人間の元義父を尊敬する反面、
「こんな大人にはなりたくない」
と思ってるらしい。(元夫談)

だから、
元義実家にお邪魔する時も、
元夫に対しても、
どこか他人行儀。

いろんな形の家庭があるもんだ、と
当時の私は思っていました。

私の病気のことも、
理解はしてくれていなかった。
と思います。
自分達に迷惑がかからなければそれでいい、
そんなスタンスだったと思います。



措置入院してから、
私は元義実家に絶縁されました。

「二度と顔も見たくない」
と言われ、
元夫はそれをどうこうする訳でもなく、
義実家に帰るのも、
元夫と子どもたちだけ。

そんな生活でした。

元義両親は、
「さっさと離婚しろ。」
とずっと言っていて、
「だけど手伝わない」
とも言っていたそう。

だから、
元夫は、離婚をためらってた部分も大きいそうだった。



そんな元義両親。

仮に家族の元へ戻れたとしても、
私のことを受け入れられないだろう。

だから元夫は、
「隣の市町村で一人暮らしして、
 きちんと生活できてるところを見てもらって、
 俺がまにゃを信頼できるようになったら、
 なし崩し的に子どもたちの面倒を見てもらって、
 俺が元義両親を説得する。
 それでも、元義両親の心が動くかどうかは分からない。」
という面倒くさい方法を提案してきたのだと思います。



書きながら、

再婚を目標とするからいけないんだ。
子どもたちに会えて、
時々でも触れ合えればそれでいいか。
 
と思えてきました。

だから、
私の当面の大きな目標は、
一人暮らし。

小さな目標は、
退院して、お金を貯めること。
そして、
介護の資格(実務者研修)を取ること。
介護職で働くこと。

目標、いっぱいあるな。笑



先のことを考えすぎても、
どうにもならないし、
しんどくなるだけ。

今は、
「今できること」に目を向けて、
それを一つずつやっていこう。

書きながら、
改めてそう思いました。







午後は、
母が面会に来ました。

面会室が使えなくて
通路のソファで話してたら、
主治医が通りかかって、
声をかけたら少しだけ話をしてくれました。

「まにゃさんは、
 考え方も前向きになってきたし、
 ある程度将来のビジョンも見えてきたみたいだし、
 落ちついてこられたので退院でいいと思います。
 仕事については、
 人に慣れていくのが大切なので、
 まずはA型事業所からでいいかと。」

みたいな話を母にしてくれました。

デパケンRがやはり眠かった、
ということを伝えたら、
じゃあ夕食後2錠にしましょう、
と言って下さいました。

母とも話せたので、
来週わざわざ面談に来られなくても結構ですよ、
と主治医は言っていましたが
母は「えぇ、そんな」といった反応で。
来週の面談をするのかしないのか、
母に任せようと思います。







娘に手紙を書きました。
難しいかもしれない、とは思いつつも、
私の病気(双極性障害)について、
書いてみました。
 
すごく元気で調子のいい時と、
すごくしんどくて死にたいとか思っちゃう時を、
繰り返す病気だ、と。

一緒にいた時は、
振り回してばっかりでごめんね、と。

治る病気でもなくて、
一生付き合っていく病気だけど、
うまくコントロールできるように頑張るから、
待っていてね。と。

娘ももう小4です。  
何となくでも、分かってくれればいいなぁ。
と思います。

自己満足でしか、 
ないのかもしれないけど。







今日も、
死にたいとは思わずに過ごせて、
いい1日でした。   

明日は外出して、
先週作った眼鏡を受け取りに行ってきます。

今日は雨だったけど
明日は晴れるといいな。