自分を虐めるのはもうやめよう。 | ASDとともに

ASDとともに

ASD(自閉症スペクトラム)による双極性障害・解離性障害・PTSD・パーソナリティ障害とともに生きる一人の女性として、母としての日々。

今日は、外出でした。

午後からは、母と温泉(家族湯)に行きました。

久しぶりに垢すりしたら
びっくりするくらい垢が出ました。
(汚い話ですいません)
大量服薬してからというものの、
まともにお風呂にも入れてなかったからでしょうか。
病院の入浴は週3回です。
温泉の効果もあってか
肌がすべすべになって、
それだけでちょっと幸せを感じれました。

その後、
激安が売りの衣料スーパーに行って
スカートとブラウス2点
それとカーディガンを買ってもらいました。
どれも100円〜600円とか。
安物買いの銭失い、
かもしれないけど、
この値段ならワンシーズン着れればいいかな
って思います。
退院して、新しい服を着るのが楽しみです。

4時半ちょっと前に、病院に帰ってきました。
疲れたのでちょっと横になって
ぼーっとしていました。





今日1日、
母といろいろ話しました。
他愛もない話から
私の障害のこと

母も
「○○(妹)も言ってたけど、
 あんたが発達障害だからって、
 だから?って感じなのよね。
 あなたはあなただし。」

と言っていました。

「あなたはあなたで、
 他の人と比べる必要もない、
 素晴らしい存在なのよ」

とも言ってくれました。

そこで、私は気づきました。

「私は、他人と比べているのではなく、
 自分の中の理想像と比べているのだ」

ということ。

「いい母親」とは何か。
「いい妻」とは何か。
「いい娘」とは何か。
「いい年した女性」とは何か。
etc…

自分の中に
「29歳の娘・母親・妻とはこうあるべき」
みたいなのがあって
それに囚われているのだ、と。

姉は、そのいい比較対象なんだと思います。
だから、
姉と一緒にいるとしんどいんだと。

私の思う理想像は
いろいろありますが
極端に言ってしまえば
「精神病じゃないこと」
になります。

でも、
そんなこと言っても、
私は発達障害だし
双極性障害らしいし
解離性障害もあるし
子宮の病気(子宮腺筋症)もあるし

自分を全否定することになってしまいます。

「それじゃあさすがに自分が可哀想だろう」

と、思いました。

自分で自分をいじめる必要はないだろう、と。

だからと言って、
今の自分をまるごと受け入れられるのか?
と聞かれたら、
受け入れがたい部分もあります。

だけど、

発達障害でも
精神疾患でも
「今やれることを頑張って」さえいれば、
私は私を認められるんじゃないかな。

と思いました。

三月に入って
2回も大量服薬したのは
馬鹿としかいいようがありません。

それは
何も頑張ってないし
ただ、逃げただけ。

こうやって精神科に入院してるのも
逃げたツケのようなものかもしれません。

でもまぁ
過ぎたことをどうこう言っても仕方ないので
「今、何ができるか」
を考えて行動していけばいいんだと思います。

精神科に入院してる今、
今日みたいに外出して、
空が綺麗だな
桜が綺麗だな
ご飯美味しいな
お風呂気持ちいいな
って感じれることは
「今しかできないこと」
「これからもできた方がいいこと」
だと思います。

だから、
今日はいい1日だった。
と思えることが
未来の私を自分の理想像に近づけるための、
大切なことなんだと思いました。



今日は、いい1日でした。

動き回って疲れたけど、
心地の良い疲れです。

今日は、よく眠れそうです。





今日の一曲。

「くだらない程 盛り上がった
 無邪気な季節は過ぎた
 昨日が未来のかけらなら
 明日だって思い出だろう」

さくら/syrup16g





そう、
明日だって思い出になっちゃうんだ。
だから、
今を精一杯生きよう。