今日、職場の人とLINEを交換しました。
障害者雇用であることを明かしている、ただ一人の人。
(社員さんは皆知っています)
帰り際に、
「発達障害って、細かく言われないと分からないってそれだけですか?」
と聞かれたので
「私の場合、視覚入力、目から入る情報に弱くて聴覚入力、耳から入る情報には強いとか、それ以外にもいろいろありますよ」
と答えました。
「そうなんですね~」
と、発達障害のこと知りたいのかなって思いました。
帰ってLINEで、大人の発達障害について書かれている記事のURLを送りました。
「私のことに興味を持ってくださるなら、一度読んでみて下さい。
へぇ~こんなのもあるんだ、程度に思っていただけたら」
という一言をそえて。
読んでくれたようで、LINEが来ました。
「読みました。難しいですね。
でも、会社の皆(商品管理)凄くいい人ばかりなので困ったり分からないことがあれば頼っていいと思います。
助けてくれますから。部署関係なく。
ここからは私の考えなんですけど、
障害者、健常者、関係なく認識の違いや考え方の違い、作業のスピード、要領、なんていったものは当たり前に個人差があると思うし、それが○○さん(私)は少し劣ってるってだけで、個性だと受け止めますよ。
境遇も少し似てて親近感湧いてるし」
もやっとしました。
発達障害者は、人より劣っているのか?
私はそんなこと考えたことありませんでした。
発達障害者と定型発達者の違いは、得意・不得意の凸凹の大きさ
だと私は感じています。
得意なことは得意だし
苦手なことは苦手
それの幅が大きいだけだと思っています。
それ故に
様々な生きづらさを抱えているのだと思います。
でも
安定した、理解のある環境では、定型発達者より優れているとも思います。
でも、こうやって、名指しで「劣っている」と言われると
さすがに凹みます。
凹むというか、考え込んでしまいます。
確かに苦手なことは多いです。
空気読めないし、相手の考えてることとか分かんないし
先のことも読めないし
全体を把握するとか出来ないし
具体的な目標がないとどうしていいか分かんないし
だけど、得意なこと(短期記憶とか、聴覚入力の強さとか)もちゃんとあります。
苦手なことと得意なこと
凸凹でそれがちゃんとした四角にならないってだけです。
職場の人は、悪気はないんでしょうけど。
人に向かって「劣っている」って言うのは何だかな~と思ってしまいました。
LINEでは
「読んで下さってありがとうございます。
そうですね。
困った時は素直にヘルプ出して、頼りまくろうと思います。
個性だと言ってくれて嬉しいです。
親近感持ってくれるのも嬉しいです。
ありがとうございます」
と返事しておきました。
まぁ、今回は
「そういう考え方の人もいるんだ」
と思って割り切ることにします。
一言に「発達障害者」と言っても
凸凹の形は人それぞれ。
私は私。
それが全てだと思います。
私は私。
みんなちがって、みんないい。
皆がそう思える世の中になればいいな。