女性から男性に性別を変更するために、多くの場合陰茎再建はされていない。
この事は割と知られている様だ。
でも、誰も問題視していない。なんで?
未手術戸籍上女性が、男用お風呂に入ってる活動家が居ったり。
そして、女性が性転換手術を受けるというと、胸を取る事と解釈されている事に、とても強い違和感を感じる。
現状、最高裁で内の性器に関して永続的に欠く状態にする必要は無くなった。
そもそも、女性から男性へ希望する場合は男性器を再建しなくても良いと言う事にされてきた。知らぬ間に。
いつからそうなったのか私は知らない。ただ、その理由をいくつか昔聞いた事があった。
健康上の事を思えば、確かに主張自体を否定する事は出来なかった。
しかし、今思えば、陰茎再建していたとしても、全身麻酔下による手術は可能であろう。所謂輸液を点滴しているから、尿道バルーンは留置される。が、陰茎再建した人は尿道延長もしている。必ず純男性の様に低リスクで尿道バルーンが入れられるのか?という疑問は、おむつで解消できる。本来は女性から男性であっても、陰茎再建は必要であるとする事が正しかった訳だ。
結局、陰茎再建してこなかった法的男性・みなし男性は、行き場を失う。
それは、翻って、外見要件が外れた先に存在可能になる法的女性・みなし女性も等しく行き場を失う。
しかし、現在のルールでは、前者は女湯が利用出来て、後者は男湯を利用出来る。
私はルールに過度にとらわれているが、
本来、ルールは破るモノであり、ルールを作れるものが強者なのだという主張に出くわした。
確かにそれはそうだと、納得してしまった。
飽くまでもそれは結果論であり、ひとつの考え方に過ぎない。
一方恐らく経済界では学説的に市場の失敗によってルールは作られるとされていると思う。
無人島で人がひとり、ふたりと増えて行くのなら、ルールのない世界の中で、色んな問題が勃発して、『んじゃ、ルール決めようか・・・?』という流れになるとすれば、それも正しい考え方だろうと思うが、そんな世界はほゞ現代においてない。
ただ言える事があるとすれば、既にあるルールが、既に市場の失敗を含んでいるのだとしたら、それは抗う人が出て来てこそつまり、ルールを破る事こそが、新たなルールを作るチャンスと言う事になる。新しいルールが作られる事になれば、それを望んだものの勝利であると言えよう。
それが顕著にあるのが、LGBT関連のTG-TS問題と、広義TG-生来女性とのにらみ合いと言った所だろう。
しかし。
トランス男性は、多くの場合、伴侶に女性を置き、その女性に他人の精子を体に入れさせ、妊娠を目論見出産させ実父を得ようとする。※いまドラッグストアでも、シリンジ方で使えるシリンジ迄販売されるに至ってしまっている。どうかしてるよ。この世界。
これ、相当な生来女性に対する強力な暴力と言えると思うんだけど、誰も何も言わない。
ましてや、女性機能を有した法的男性が認められた。
一部では、男性機能を有した法的女性を認めてしまったが。
法的男性がもし、むりやりシリンジを使って中身をパートナーの女性に注入すれば、それは不同意性交等罪になるのか?
多分ならんのじゃないか?分からんが。
面倒くさい事が増えて行く。
だから、やめ~と言っているのに。誰も話を聞かない。いや、聞いてはくれている。しかし、何も変わらない。
辛い所だねぇ~