ルールとは時に残酷であると言う事、私は知っている。おカマだけに。 | 奇麗な星のブログ

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これから書くよ

 

男性にある程度見えていても、

声が男性的であっても。

戸籍を女に変えてさえいれば、一応現段階ではそうであるとみなされる。

では、そこに到達できない人は、男として社会的には扱われてしまう。どんなに女性に見えていても。そして、戸籍が男と記されている事で、行動が抑制されてしまう。

 

これが、ルールであり、そのルールによって、女として排除されてしまう現実。

 

 

だから、ルール化は時に残酷であると言う事を私は知っている。

 

 

だから、私は政治家に、ルール化は危険だ。やめてくれ

 

 

と、声高に叫んでいる。

 

 

あまり理解を示す政治家はいませんけどね。
 
 
 
特に性別は、社会構造に組み込まれている。
だから、性別概念を無くす事は、多くの法律を改正する必要があるだろう。
女性の認知とかね。
そもそも、母親、父親という概念も無くなるんでしょう。
人は出産を以て親とするとなれば、同性愛者間の子の親の在り方も選択できる事になるんだろうし。
嫡出子なら、親である二人が出産に関与している訳だから、どちらであっても出産を以て親となれる訳だし。
男性の推定認知は弄る必要は無い訳で。
男性の推定認知が法律上残れば、出産は、『親である二人が関与している』と言う事の根拠である事が逆説的に説明できる。
母子手帳が親子手帳になる様に、父母という文字を消しゴムで消す様に、広辞苑から消してしまえば、日本語ではないと強制的に消し去ってしまえば、性別と言う概念を捨て去ってしまえば、男性器を持つ女性が存在しても、そしてそうした人たちが、女性だけど女性を妊娠させたり、男性だけど、女性機能を使って子を産んでも、最終的に男、女に縛られる事無く、安心して親となり育てる事が可能になる。
 
こんな世界が良いとは思えないけど、今の若い世代がそれを強く望むのなら、それもありだよね。私らの様な老害以降の去り行くのみの存在がそれを阻止する理由にはならないかもしれないねぇ。最近、そう思う様にもなってきている。
 
ルールは残酷という一方で、そのルールを新設して歪みを修正し、生きやすい世界にしていきたいと言う人たちが居るのもまた真実なのだとしたら、好きにすればよいと言う事になるよね。
 
どうだろうか。