ちょっと古い記事だけど。
理解増進は良い事だと思う。
そもそも、何が差別なのか?と言う事が、法案立案者が言えないと言う何とも無意味で或いは恣意的である意味恐ろしい法案だという指摘がされています。
性自認女性が、女性トイレに入った事を『ちがうよ』と指摘する事が、出来なくなる・・・という松浦大吾氏の言い分に、少々行きすぎじゃないかな?と、思っていたけど、最近ではようやくその本質的な反差別が理解できるようになった。
人権のバッティングとは、例えば、私の様に現行法にて戸籍を変えた者と、生来女性との対立・・・だと思っていた私。
そもそも、戸籍上男性となる人が、女性専用エリアに不用意に立ち入ればそれはアウトであって、そこに人権のバッティングは存在しえない。と言うのが私の考え。
人権の衝突
と
差別
似て非なるモノの様に思うんだけど。
男性が女性トイレを利用する事を拒否する事が、果たして直接差別となるのだろうか?
LGBT差別禁止というのなら、
トランスジェンダー女性が、女子トイレを利用する・・・事を、女性同性愛者である生来女性が、嫌だ、出て行ってと言った場合、
TがLを侵害し、LがTを排除しようとした・・・
で、LGBT差別禁止ですか・・・。
シス・ストレートが、既に置いて行かれてる現象・・・w
で、もし、女性同性愛者側である生来女性が、逆差別だよと、EUの様に言われるようなら、まさにLGBT差別禁止法によって、Lが裁かれてしまうという・・・なんとも解せない現象が起きてしまう。
ただ、多くの女性同性愛者は、トランス女性を受け入れている・・・というツイートも見かけた。
結局は、人それぞれ感じ方も違うし、女性同性愛者の人にもトランス女性と巧く行ってるよ友達としてという人は存在するだろう。無論、女性同性愛者だけに留まらず、シス・ストレートにも言える事だろう。
そうした中で、法律というルールで、仕切る事が、本当に正しいのか?
私にはどうしても、ルール化は双方にとっても現状を打破する事にはならないと考えてる。