関弁連の宣言なんて私も滝本弁護士のホームページを知るまで知らなかったし。多分。
そんなちっぽけな宣言なんかより、日本学術会議の提言の方が脅威なんだけど?
関弁連は公式ホームページに記載しているだけじゃないの?
日本学術会議は政策提言として党、議員に配布していると思うんだけど。
ちょっと迂闊なことは言えないな・・・配布に関してはここで訂正しとく。分からない。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t297-4.pdf
立派な提言書ではないでしょうか?
頭の悪い国会議員なら、こんなん送られてきたら、ビビっちゃうでしょうね。
んで・・・
こいとらさんの主張は、トランス女性でも女性として生活実態のある人と言って居て。これがつまり、性自認の持続性の担保と言う事になるんだろうと。だから女性エリアに入る事は問題は無いという事なんだろうと。
これに対し、滝本弁護士は、
それはつまりパス度の問題になり、ルッキズムだーと。
こいとらさんは、生活実態のあるトランス女性に限るとしていて、それはつまり、ゴリマッチョなトランス女性も生活実態があれば、女性と同等という事なんだろうと。つまり、「パス度重視やルッキズム」ではなくて、あくまでも、主張は生活実態を掲げている訳だ。乖離しているんです。なぜか?滝本さんは所詮非当事者ですから。知らないんです。多分ね。
滝本さんの言い分を私流に解釈して言えば、戸変ゴリマッチョ女性でも女湯に入れると言って居るんです。
滝本さんは、戸変を擁護しているのですけど、戸変であっても、やっぱりなかなか生きづらさは解消されない訳で。でも、戸変だからと言う事で言ってしまえば、女湯にも入れてしまうと言う事になり、そうした内情を知っているトランスたちは、逆手に出て埋没トランスなら女性エリアおkじゃね?っていう・・・これはまぁしょうがないよね。そうなるよね。
ルッキズムというジレンマは、当事者は抱えて生きて行ってると思う。
ん~・・・。こいとらさんの言い分も、生活実態優先だからパス度関係ないね。
結果、こいとらさんも滝本さんもあまり変わらない事を言い合っている様に見えていて、結局寝た子を起こしているだけなんじゃないかなぁ~と。思うんだよねぇ。
日々の生活実態は、トイレに侵入した段階では分からないという主張だけど。
この文言は、トランスばかりでなく、戸変にも言える事にならないかなぁ。。。
そもそもさ、女性としての生活実態って何だろうね。
誰かに女性と思われて生活しているか否か
なのか
単にスカートを穿く
事なのか。
女性ものの洋服を身にまとう・・・
という事なのか。
男性だという前提で、スカートを穿いて出勤して、社内では反発が強い事を想定して、男性更衣室を使い男子トイレを使っている様な健全な(?)トランス女性だっているだろうに。そういう人は、生活実態としては認められない?
結局は平行線のままで、このままだと、トランス女性の権利擁護となっていく方向になるのかなと。
その結果、生来女性の反発が強くなり、トランスとシスを切り分けよっか・・・という流れになるんだろうと。
だったら、特例法なんて完全廃止で良いんじゃないの?って、私は思う。
解消されたはずの生きづらさが、また舞い戻ってくるのなら、生来女性の権利・法益を完全体として守る方向で行く方が、私としては本望かなぁ~と。既に女湯に浸かっちゃった身としての罪滅ぼしよ。
そもそも、というかなんというか。
もうこれだけ騒がれれば、例えば旅館等々の温泉的な極楽を楽しみたいと願った時、多分家族風呂とか貸し切りの小風呂とか用意されている事もあるかもしれないし。それに期待するわ。