間宮海峡は樺太(=サハリン島)とユーラシア大陸の間にあります。
今は樺太(=サハリン)が島であることは当たり前のことですが、かつて世界中の人々にサハリンは島でなく大陸から続く半島だと信じられていました。
世界三大航海士とよばれた世界の著名な探検家が調べましたが、自然環境の厳しいこの地方の調査は困難を極めました。
その結果、サハリンは半島であるという結論を出していたのです。
それに対し、樺太は半島でなく島であることを発見したのが間宮林蔵です。
これは、世界中を驚かせた大発見です。
当時は、うっそうとした原始林が生い茂り、道らしい道がなく、気候的にも、大変な探検だったことは容易に推測できます。
そして、江戸時代当時の装備では想像を絶するような幾多の困難乗り越えての発見だったに違いありません。
新たに発見され、まだ地名が決まっていないところは、その発見者の名前を付けるのはよくあることですよね。
だから、間宮林蔵は世界地図に名を残したただ一人の日本人なのです。
(間宮海峡、国際的にはタタール海峡と呼ぶ方が正式名称だそうです)
実は、間宮海峡の名はシーボルトによって広く世界に広められたんですよ。
シーボルトは有名な方ですね。
ところで、この度の東日本の水害で堤防が決壊した鬼怒川、その鬼怒川と並行に流れる小貝川という川があります。
茨城では鬼怒川流域も小貝川流域も多くが水田地帯です。
美味しいお米が獲れるんですよ。
茨城産のお米やお野菜、機会があったら是非食べてみて下さい。
食べて支援するのも大切な被災地支援ですものね。
そう言えば、うまい棒やキャベツ太郎の工場は水害で被災した常総市にあるんですよ。
Yhooニュース9月14日「うまい棒」に「キャベツ太郎」駄菓子買って被災地応援!被害の茨城常総市菓子メーカー・・・
さて、今回は間宮林蔵の幼い頃の話を少し書きます。
(聞いた話ですので多少違ってるかも・・・・その時はすみません)
間宮林蔵は240年ほど前の江戸時代、小貝川のほとりの農家に生まれました。
林蔵の生家は間宮林蔵記念館の敷地内に移築保存されていますが、実際に見学してみると本当に小さい家で当時の貧しい生活がしのばれます。
林蔵少年は、子どもの頃、ほかの子どもとはちょっと違った遊びをしていたそうです。
例えば、竹竿を持ち歩いて、木の高さを計ったり、小貝川の深さを計ったりといった遊びだそうです。
なんでこんな遊びが楽しかったのかしら?
それまで知らなかった川の深さや木の高さを知ることに子供ながらにも喜びを感じていたのかもしれません。
小貝川という川も鬼怒川同様、よく氾濫を起こしていました。
ある時、幕府が川の堤防を修理するための工事を行いました。
堤防と言っても、土手に近いもの、堤(つつみ)の工事だったと思われます。
林蔵少年は毎日毎日その工事を見に行きました。
工事はなかなか難しそうに見えました。
ある時、彼は、役人に思い切って言います。
「そのやり方は間違っています。そんなやり方ではまた崩れてしまいます。そして洪水になってしまいます。こういうやりかたでないとだめですよ」
(たぶん、凄いなまりの茨城弁で言ったと思うけど!)
役人は、相手が子供なので最初相手をしませんでした。
けど、林蔵少年は、一生懸命自分の考えを伝えました。
初めのうちは、彼をこバカにしていた役人も、少年の訴えが理にかなっていることに驚きます。
すっかり感心した役人は、林蔵少年の言ったことを参考にして工法をかえました。
こうして工事は無事に済みました。
この出来事が、彼が幕府にとりたてられ、彼が江戸へ出るきっかけになったひとつのエピソードといわれています。
当時は江戸時代、厳しい身分制度の元、どんなに優秀であっても出世の道は限られていました。
そんな中、農民出身の林蔵が幕府に召し抱えられた事は異例のことだったといえるでしょう。
やがて、林蔵は幕府の命令で樺太の探検をすることになるのですが、
そこは夏が短い極寒の地、気候の悪条件とも闘わねばならず、道中の苦難も多く大変辛い旅だったに違いありません。
しかし、どんなことがあっても、勇気をもって突き進みました。
その結果、冒頭で述べた偉業を成し遂げることができたのです。
先行抽選のN杯チケット全滅でした。
皆さんはどうでしたか?
明日の一般販売を前にして、出来る限り最善を尽くそうと思っていたら、なかなか寝付けなくてこんな記事を書いてしまいました。
つまらない記事、最後までお読み頂き有難うございました。
追記―
お蔭様でN杯チケット27日金曜の分だけ、取れました。
私はローソン、夫が
私の方はなかなか繋がらず、1分後に繋がった時は既に完売していましたが、夫の行った
(すみません、今、夫にチケット見せてもらったたらミニストップ発券でした。)
お友達が今回はファミマの方が結構取れてるみたい言っていたので完全に勘違い、私も舞い上がったまま記事書いてしまいました。
でも、多くのお友達が全く取れない中、1枚でも取れたことは本当にありがたいことです。
精一杯応援してきます。
フリーとエキシは、どちらか1枚だけでも2次販売でGETできればと思っています。
2次販売ありますように・・・・
皆様も頑張ってください。