12月3日のやじうまで ゆづが卒業文集によせた作文が 紹介されたことを 昨日のブログで書きました。
この作文、何回読んでも良い作文だなぁと思うので今日も紹介させていただきます。
瞬間
羽生結弦
ぼくがこの6年間で一番心に残ったっことは、スケートのことです。
楽しかったこと、くやしかったことなど、いろいろ学びました。
僕がスケートをはじめてから 5年がたった4年の時、初めて全日本へすいせんされました。
初めて出場する全日本、ぼくは 緊張よりも わくわくしていました。
「絶対に優勝してやる」と思いながら、いつもよりも 練習に励みました。
そして当日、ぼくの出番は何と1番。
クラブのみんなに
「1番は大変だよ。でもがんばってね。」
と言われると
「一番は得意だから大丈夫」
と言って、みんなの そして 自分のきんちょうもほぐしました。
「1番羽生結弦君」という合図と一緒にぼくの演技は始まりました。
ぼくは 何も考えずに無我夢中になって 精一杯自分の演技をしました。
ふっと気づいたら 最後のポーズを終えた瞬間、大勢の観客から大きな拍手をもらいました。
あの瞬間は いまだ忘れてはいません。
とてもうれしかったです。
そして「観客に感謝したい」と初めて思いました。
ぼくはこの大会で「観客に感謝したい」という気持ちを学びました。
これからもスケートを続けていろいろなことを学んでいきたいです。
この時の試合とは、2004年10月、小学校4年生9歳の時に初出場した全日本フィギュアスケートノービス選手権(B)の事です。
ノービスクラスは年齢でA・Bに分けられます。
ノービスA(11~12歳) ノービスB(9~10歳)
スケートシーズンは7月に始まるので、7月1日に達している年齢が9~10才、11~12才ですから、7月以降の誕生日の人はそれぞれ小4~5年と小6~中1になります。
12月3日の報道ステーションによると全日本ノービス選手権は、ノービス世代の育成・強化を目的に日本スケート連盟が1997年から開催している大会だそうです。
初回大会には、鈴木明子選手や高橋大輔選手も出場しました。
話をゆづの話に戻しますが、そのノービス選手権、ゆづはぶっちぎりで優勝しちゃったのだから、すばらしいですよね。
参照 f="http://www.skatingjapan.jp/National/2004-2005/Figure/AllJapanNovice/data0305.htm"
貴重な動画、感謝してお借りしています。かわいらしいけど、ノーミスの最後までスタミナの切れない演技をお楽しみください。
スピン美しいです。
ジャンプも最高に上手いです。ダブルアクセルって4年生で飛べちゃうものなのかしら?
スパイラルだって、ステップだって一生懸命やていて、見ていてジーンと来ます。
ちびゆづは「絶対優勝してやる」って本気で思って滑っていて それが 伝わってくるのです。
とても感動しました。
この時のコーチは都築章一郎先生です。
(佐野稔さんのコーチをされていた方です。後に、あの大震災でホームリンクを失ったゆづを東神奈川のリンク=神奈川スケートに呼びよせ、練習を再開させてくださった有難い先生です。)
しかし、ノービスで優勝した直後の12月、ホームリンクだった「コナミスポーツクラブ」が経営難のために閉鎖されてしまいます。
ホームリンクを失ったゆづは、「勝山スケートリンク」や「ウェルサンピア宮城」まで通わねばならず、練習時間を思うようにとれない環境で苦しみます。
せっかくノービスBで優勝したのに、小学校時代のその後の成績は2005年ノービスB=2位、2006年ノービスA=3位という成績に甘んじています。
参照
http://www.skatingjapan.jp/National/2005-2006/Figure/national_nv/data0305.htm
http://www.skatingjapan.jp/National/2006-2007/Figure/national_nv/data0105.htm
後に著書『青い炎』の中で
『僕らは急に練習場所がなくなってしまって、スケートを続けるには今までよりも遠いところにある他のリンクにかよわなくちゃいけなくなりました。
練習時間も、それまでに比べると一気に少なくなってしまたんです。
貸切時間だってあまり取れなくて、自分のプログラムの曲もそんなにはかけられない。
せっかく全日本ノービスで優勝したのに、そこから先は全然力が伸びていかない。
あの頃が一番大変だったな…。』
『そして その頃です。嫌いでしょうがなかった練習が 大事なんだなって思い始めたのは』
『練習していないとすごく落ち着かなかったし、やっと練習ができるとすごく楽しくて、今までよりもずっと一生懸命滑る様になった。』
『スケート やっぱり楽しいんだなあって、本当におもいだしたのはそのころだったんです。
やっと気づいたのですよ。
やっぱり自分にはスケートがないとダメなんだ、ということに』
と書いています。
「練習が大事なんだ」
「練習していないと落ち着かない」
そして作文に書いた「観客への感謝の気持ち」
さらに常に保ち続けている「絶対優勝してやる」という強い気持ち
ゆづのアスリート魂の基礎は小学校時代に既に形成されていたのですね。
* * * * * * * * * * * * * * *
ゆづは昨日4日(火)ソチにに到着しました。飛行機が遅れて、約13時間遅れとなる1日半の長旅となったらしいです。時差大丈夫かな?
『NHK杯の後は練習拠点のカナダには戻らず、仙台市内のリンクで深夜に練習し、時差調整を図ってきたという。7日のショートプログラム(SP)当日に18歳の誕生日を迎える羽生。2戦連続SP世界歴代最高得点という自信を胸に、「演技でいい誕生日プレゼントがもらえればいい」と笑った。』
参照 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121204-00000095-mai-spo
ゆづがグランプリファイナルでベストな演技ができますように・・・・
ご活躍をお祈りしています。