noteの記事を移行しています。
Youtubeの動画の内容を全て字起こししました。
心の落ち着かせ方
統合失調症発症から安定するまで
はじめに
※ 何か一つのものに偏っても全てが良くなる方法はありません。方法はそれぞれです。
良い方向へ向かう、考え方の参考になればと思います。
自分自身の気づきが力となり、自信につながります。
始めは体調の異変からでした。
仕事中に突然歩けないほどの回転性のめまいと
激しい頭痛に襲われ、1ヶ月程続き
やむなく仕事を辞め、休養していると徐々に治っていきました。その後酒さ様皮膚炎を発症し、
顔が燃えるように熱くなって猛烈に痒く、滲出液を垂れ流し、一晩中耐え忍ぶ日々が続いていました。
ある日、頭の中で声が聴こえ始めました。
その声は次第に増えていき、笑ったり泣いたり
感情の起伏が激しくなり、
性別や人格、声質や口調も異なる声にとらわれていきました。
私自身が知り得ない知識も、考えも及ばない視点を持ち合わせていました。
声に従っていくと段々行動を制限され、些細な動作一つに先を読まれて動けなくなり、全ての行動に迷うようになり
考えていることも読みとられ、寝ている時間以外は(ほとんど眠ることもできず)
頭の中で四六時中、葛藤と混乱の中にいました。怒って叫んだり狂うことは許されず、
誰にも話していけない。
そうしないと最も恐れることが起こると。
状況まで事細かに先を読まれると、恐怖が加速し要求も切羽詰まったものとなり
今すぐ自死しないともう逃れる道はないと迫り
精神の極限まで追い込まれました。
様子がおかしいと両親に病院に連れられ、
統合失調症と診断を受けました。
幻聴のことを両親に話したり、ひどく取り乱すことはなかったので、入院はしていません。
精神の極限状態でもギリギリの理性があったのはそれも恐怖によるものでした。
統合失調症という病気があることは知っていました。
それは分裂症だと思っていて(別人格に変わってしまって自分の意識がない状態)
自分がその病だとは気づけませんでした。
幻聴が現実だと思い込み、自分の意識があることで統合失調症だと気づくことが困難です。
この病と脳のことを調べていくうちに、
脳の扁桃体が危険だと判断した場合(例えば熊に襲われそうになった場合)
身を守るために今すぐ行動せよと信号を出すことを知りました。
声が自分の不安が強くなると、今すぐこうせよと命令調になっていたのは
扁桃体が関係していると考えました。
ということは幻聴、幻覚、妄想は、自分の心を映す心模様の表れであり
落ちついていれば肯定し、恐れが強くなれば不安を煽ったり否定的になります。
恐れは自分がとらわれているもの、過去の経験からの心の傷、我欲、依存心、偏った考え方に
自分の心が近づき大きくしています。
近づけば近づく程大きくなります
幻聴は自分自身の心の声です。(幻覚、妄想も自分の意識)
統合失調症は原因の一つとしてドーパミン異常により幻覚などの症状が引き起こされると言われています。
それにより考えがまとまらなくなり、思考障害で他者、社会から離れていきます。
私の考えは幻聴、幻覚により自分自分の抱えている恐れや不安が擬人化、擬態化して、自分ではないもののように見えている状態にあると考えます。
形となったものに思考力も意識もひっぱられます。
症状の特徴でもある、誰かに見られている
考えも読みとられるのは、自分だから分かるのです。
幼い頃から、今までの人生の心の傷、罪悪感が残っていることを、忘れていたものまで浮き彫りにされたのは潜在意識からきているのでしょう。
ただ追い詰めるのが自分ではないものに見えているため逃げ場のない、得体の知れない恐怖となり加速していきます。
なぜ自分ではないものに見えてしまうのか。
人は、環境や人との関わりにより、自分というものが形成されていきますが
意識は〝自分〟というものはなく無限に広がっていて
例えば誰かがこう思っていると感じたことが、
はっきりと声として聞こえてきたことで、
誰かに言われていると錯覚します。
錯覚することで意識に人格ができてしまい、
恐れとなっていきます。(意識は恐れに捕まりやすい)
それは自分自身が作り出した、出てきている恐れであり自分の声、意識だと気づくと、私の場合では声そのものはなくなり、
自分の考えが声色のない言葉(通常ではほとんど無意識で言葉にもなっていないもの)として頭の中に流れてくるようになりました。
ほぼ思い癖のようなもので、文章を考える時に
勝手に言葉は出てきません。
自分の意識が言葉として出てくるため、迷ったり疎ましく思うこともあります。
ただ聞く必要もないし、必ずしなければいけないこともないと切り替えます。
良くない言葉、映像が出てきた時は、それに近いもので怖くない言葉に連想ゲームのように変えていくこともしていました。
安定している時、自分の考え、意識だと気づかれた方もいると思います。そこから不安や恐れとどう向き合っていけばいいのか、冷静に自分の心を見ます。
迷い、悩みは必ず何かにとらわていることから
発生しています。
過去のトラウマ、これだけ辛い思いをした
時間を費やした、引き換えに失ったもの、後悔、
失いたくないもの、周りからの評価、自分像
どんなに苦しい過去の痛み、心の傷を抱えていても誰かを恨んだり、執着するのは自分の心が決めています。
苦しい状況の中に自分の考え、行いから生じた原因があります。
とらわているのは自分の心です。
理不尽で理解し難い出来事も、そこにとどまっていては苦しいままです。他人に自分の苦しみをうつしても消えません。
とらわれの原因となるトラウマ、我欲、依存心
概念を捨て去り、そこから離れます。
罪の意識は苦しい感情と切り離して、反省すべき点は冷静な心でこの先どう生きるべきかに変えます。
むやみに恐れなくて良いです。
ただ苦しみにとどまっている心から離れる覚悟が必要です。
これは統合失調症に限らず、心の病に苦しんでいる方も同じです。
苦しみ抜いた分、そこから離れる精神力をお持ちです。
とらわれの心から離れることを繰り返し続けます。
恐れは自分の心が作り出していることを、一つ一つ納得していくと意識が同調して、自分を落ち着かせることができるようになります。
神様だと思っていた声、悪魔のような存在、自分とは全く異なった人格の声は今でも不思議に思いますが、
症状はその人の特色が反映し、誇大化します。
統合失調症だと知られている芸術家、数学者の見る幻想は、
感受性、創造力、潜在意識によりとてつもないものだと思われます。
混沌とした幻想が、自分の意識だと気づくことで
自覚となり意識を調和させ、心を安定させます。
思考が偏ると、意識が独り歩きし始めます。
そうなると意識を調和させることができなくなります。
これを自覚するのは私自身です。
他人からの評価で自分が成り立っているのではない、
何からもとらわない心が幸せだと感じます。
出来るだけのことをして、それでも急性期が訪れてしまった時の自分でできる対処法として
(意識が途切れる、記憶が飛ぶ方はできません。)
これは完全に自己流なので、試される前に比較的軽い幻聴の時に効果があるか確認して下さい。(短時間のみ)
幻覚は五感(視聴臭味触)にあらわれます。
それは現実ではないことに焦点を合わせます。
まず横になり力を抜いて、息が吸えるか吸えないくらいの
糸のような細かく短い呼吸を、音も立てず静かに続けます。
(深呼吸しても息を止めても、耳からではなく頭の中で聞こえるので)それでも隙間から聞こえてきますが、
無視して一晩中続けます。夜が一番不安が強くなるからです。
(追記/なぜこの音も立てない細かな呼吸法(力まない)が効果的なのかというと、幻聴が途切れるのと、この呼吸に強い集中力が必要なためです。)
意識と感覚にのみこまれない。
例えるなら、墜落寸前の操縦士です。冷静な判断と集中力でコントロールします。
混乱に抵抗しようとするエネルギーを全て呼吸に集中させ、恐怖を離します。
心拍数、緊張、興奮状態を極力下げるためにも
爆音で音楽などを聞くのは逆効果です。
朝になると落ち着きますが、不安だったら字幕入りの賑やかなテレビ(疲労状態にあるので何も考えずに聴覚、視覚に意識をそらせるものがいいです)を見て、
だんだん恐怖も薄れていきます。眠れるとしたら一番いいです。
心の病を抱えている方は、普段から狂気的な内容のネットや趣味などは避けた方が良いです。思考が引っ張られます。
それらのものを求めてしまうのは、波長を合わせてしまっているためです。周りから止められるより、
自分の意志で変えないといけません。正常にする精神力がないと不安定になります。
また元気になった時も、夜通し集中力を使うことを続けたり睡眠不足につながる無理は、脳を疲れさせて(興奮状態)、
安定させるコントロールが難しくなります。
急性期の後は、急激に痩せた分、過食になり
何もやる気が起きない日々が続きました。
ご家族や親しい友人の方々も、どう接したらいいのか同じように悩み苦しんでいるかと思います。
統合失調症は幻聴、幻覚、妄想などにより常に心が追い詰められている状態です。
(本来なら無意識なものが形となって現れている)
だからといって、異常者ではありません。
誰にも悩みや不安があります。その恐れが四六時中否定したり、責め立てられていたら誰だって混乱します。
自分の考えていること、してきたことを丸裸にされたら今までと変わらず生きられるでしょうか。
どうしたら混乱の中から脱出し、心が安定するのかが見えなくなっています。
穏やかな日々を過ごせるのが本来の姿です。
本人が落ちついて会話できるようであれば、体験談としてこの動画(記事)を勧めて頂けたらと思います。
もし反応もなく、何もしていない状態が続いているようでしたら、落ちついた声で読み聞かせてあげるといいかもしれません。ご判断はお任せします。
助けたい、何とかしてあげたいという気持ちは十分理解できますが、自分で恐れを克服できたという意識がさらなる不安を打ち消し、心を安定させます。
先の見えない不安の中で、考え方の参考になればと思います。焦らせたり、強要はしないでください。
変わり果ててしまったように見えても、その中には必ず本来の自分があります。
変化は目に見えず、ゆっくりかもしれません。
恐れず、悲観せずに、いつもと変わらない姿で
見守っていただきたいです。
そして、私の経験で気づけたこと以外は断言できません。
やはり何を選択するか判断なさるのはご自身です。
恐怖に打ち克つことで、気づかされたことは大いにあります。
長い間苦しんできたことを嘆く必要もありません。
困難の先に、最も大切なものは何かを見つけたことにより、
あなたの揺らぐことのない心の大きな柱となっているからです。
今まで心の柱(心の傷み、疑問に応えてくれるもの)だと捉えていたものは影でしかありませんでした。
影である、あらゆる視点から本質を自覚します。
それには限界がありません。
(限界があるとしたら、本質ではなく囚われの心です)
心の柱は自分の中に見出します。
意識にのまれて、死と直面したことで気づいたのは自ら死を選ぶことは、
絶望の先に新しい価値観や考え方を得られた機会を閉じてしまうことになります。