「正義」の選択。(道徳のジレンマ) | マニュアルネット株式会社 OFFICIAL BLOG

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こんにちは、CEOの小野崎です。

実際にあった話..

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2005年6月、米海軍特殊部隊の”L”は、メンバ3人とアフガニスタで任務を始めます。
任務はある指導者を捜索するもの。
事前に、その指導者は150人の重武装した兵士を率いて山岳地帯にいるという情報を得ている。

Lがメンバと山の尾根に陣取って直ぐに、
100頭のヤギを連れた2人のアフガニスタン人農夫と14歳の少年に出くわした。
武器は持っていないようだった。

Lたちは彼らにライフルを向け地面に座らせた上で、メンバ間で話し合った。
このヤギ飼い達は非武装の民間人である。
しかし、解放すればL達米兵の存在を、指導者(ターゲット)達に知られるリスクがあった。

Lのメンバ(戦友)の一人は、ヤギ飼い達を射殺することを主張した。
「現在作戦遂行中であり、自分達の命を救うためならあらゆることを行う権利を持っている。」

もう一人のメンバは、射殺に反対した。
残りの一人は、投票を棄権した。

Lの判断で行動が決まることになり、彼は「ヤギ飼い達を解放されることが間違い」だと分かっていながら、解放することを主張し、実際に彼らを解放した。


結果・・・


解放して1時間半後に、100人程度の武装したターゲット達に包囲され、
L以外の3人のメンバは戦士した。またL達を救助しようとした13人の兵士も命を落とした。
奇跡的に生き残ったLは、当時を振り返り「これまでの人生で、最も愚かで、馬鹿馬鹿しく、間の抜けた判断だった」と述べている。

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ご存知の方も多いと思いますが、
マイケル・サンデル著 これからの「正義」の話をしよう  からの抜粋です。


この話の道徳ジレンマは、以下の反する2つの考えからなります。

・3人のアフガン人を射殺すれば、3人のチームメンバと多くの味方の命を救える。任務も 継続できる。

・正当な理由があっても、罪のない非武装農民を射殺してはいけない。
 


さて、あなたならどう考えますか?


私の個人的な感覚では、
傍観者であれば、3人のアフガン人を射殺することが正しく、実行すべきと思い、
当事者であった場合は、理由があっても、その場で罪ない人を撃つことはできないとなりがち。
ではないでしょうか。

要は、傍観者の立場だと論理的(合理的)な解釈が感情を上回り、
当事者になれば、感情が上回ることが多いのではないかと感じてます。

しかし、感情だけの判断で良いはずもありません。
また、合理性だけでは社会は成り立ちません。


なぜ、突然このような事を書いたかというと、
「衆院選挙」の各政党の主張を聞いていて「どれが正義?」と感じ、
この話を思い出したからです。

私たちが生活していて、Lのような(アフガニスタンで任務)ことはないでしょうが、
正義と不正義をめぐる意見の対立は多くあります。

例えば、企業における雇用調整/リストラも身近な問題ですし、
今後の大問題の一つに、原発の”プルトニウムの処理”も、多くの意見があります。
これらの問題は傍観者でなくまさに当事者として考えなければなりませんよね。

私はどう判断するかというと・・・、
CEOとして行動している時は、合理性を主軸に決断することが多いと思います。
自社を継続・発展させることが何よりの目的です。
経済性ということになるので、感情より論理/合理性のが遥かに適合します。

一番してはいけないのは・・・、
決断から逃げ出すことだと思ってます。

「どちらか一つを選ぶことはできない、私は決断できない」となるようなら、
CEO失格ですので・・・。それだけは絶対にしてはいけないことですね。
勿論、決断するために、多くの人の意見を聞き、できる限り議論します。

今回選挙、考えれば考えるほど選択が難しくなってきますが、
考えたことは無駄にはなりません。
また、マイケル・サンデルが書しているように、
こういった道徳ジレンマは、孤独に一人で考えるだけでなく、
社会全体で取り組むことが必要です。

頑張りましょう!

#Blogで書いていたら、再度、読み返そうという気になりました。
 「考察の旅」が始められます...