こんにちはたまには私の話をしようと思う。私は両親共に学歴や他人からの評価を気にする家庭に生まれた。よく、「他人の気持ちを考えましょう」と言われるけれど私の家にいる限りその必要はなかった。というのも親は常に私に怒りをむけていたと思う。常に怒っていた。常に泣いていた。常に叫んでいた。「ちゃんとしなさい」「変に目立たないで」「変なことをしないで」「周りとうまくやって」「人の気持ちがわかるような人に育ちなさい」
幼少期の私は
「他人の気持ちを考えなさいと私が他の人に言いたい」と思うようないじめにあってきた。そんな時両親は別に私の気持ちや発言関係なく「怒る」「叫ぶ」「勉強させる」「いじめられて悔しいから私が泣き叫ぶと思い勉強させる」を繰り返してきたため家庭でも他人の気持ちを考える必要はなかった。唯一妹とは喧嘩になると面倒だし、妹のことは大切にしたかったから「他人の気持ちを考えたい」という気持ちはあった。
さて28歳になって
友人に
「他人の気持ちを考える癖をつけて〜」
とすごく軽いノリで言われてまあ悲しかった(どちらかと言うと怒りを感じた)。もちろん自分が他人の気持ちを考えるのがすごく苦手なのはよくわかっている。人の気持ちはわかる「悲しい」「嬉しい」もわかるしこいつ私のことバカにしてるもわかる。というよりどういう事をしたら人が悲しむかも知っている。
とここまで書いて気がついた
矛盾している。「他人の気持ちを考えるのが苦手」と書いた。でも私はここで「他人の気持ちがわかる」とかいた。こわい。考えずにわかるのか?それはわかったふりではないのかな?
結論
考えるとわかるはちょっとどころか
かなり違うのだ。