舟木一夫コンサート2017
サンシティ越谷市民ホール
2017.8.17(木) 14:00 18:00
オープニング
清らかな青春 爽やかな青春
大きな夢があり
かぎりないよろこびがあった
はかない希みがあり つらい別れもあった
そんなときはいつも・・・・・・
母にも似た 優しい 目差しの
君たちがい そして 僕がいた
♪ 高校三年生
(舟友さん 花束 昼の部)
太い黒ストライプの赤いジャケットの舟木さんが、バイオレットのレーザー光線の
中から浮かび上がる。 このオープニングで、今日も舟木さんのコンサートの会場
に居られることの有り難さと嬉しさとが、心身に満ちていく。
何だかこのごろ毎日雨が降って、妙な天気ですね。 妙なお天気の中を、ようこそお越し
下さいました。 気温も21度とか23度とか、お互いにそろそろいいところに来ています
から、結構身体にきてますよ。 足掛け55年、歳を数えながらやっているわけではあり
ませんが、やっているうちに何気なく経っちゃった、という感じです。
僕の場合、デビューがはっきりしていますから、舟木一夫は
18で詰襟着て歌って55年経ったということは、 指を折って
数えられますからね。 ラブソングでスーとデビューしていれ
ば、そうでもないんですが。 ほぼヤケで、いろんな歌をお聴
かせしようかと思います。 どうぞごゆっくり。
♪ あゝ 青春の胸の血は
♪ 修学旅行
♪ 仲間たち
♪ 君たちがいて僕がいた
♪ 友を送る歌
このあたりの歌も、青春ソングの代表的な歌
ですね。
♪ 友を送る歌 だけはデビュー当時とは少し
離れていますが、後はほぼ18で詰襟着てデ
ビューした当時の歌ですね。
周年というのは満でやるところと、数えでやる
ところとありますが、僕の場合は数えでやって
います。 54年経ったところで55周年を始めて、
55年経ったところまでですね。
只今72歳、、、、いえいえ拍手を頂くほどのこと
は、、、。 この12月で誕生日が来ると、73。
最近痩せたといわれるんですが、痩せたので
はなく萎(しぼ)んだのです。 お医者さんに聞き
ましたら、年相応です、と言われました。
女性と比べて男性は線が細く出来ていますか
らね、なかなか持ちこたえられないんです。
皆さんとずっとご一緒に歩いてきた歌い手は、幸せですよ。 いちいち新曲だの説明する
必要がありませんから。
こうして喋っているのも、ついでです。 続けて歌うのが年取ってしんどいだけですから。
無理無理、何とはなしにここまで来ていますが、、、。 1コーラスでも多くと思うと、メドレー
は使い勝手がいい。
デビュー曲「高校三年生」に当然もう1曲B面があるわけですから、これももう一つのデビ
ュー曲です。
♪ 水色の人
♪ ブルートランペット
♪ あいつと私
♪ 雨の中に消えて
♪ くちなしのバラード
♪ たそがれの人
♪ その人は昔のテーマ
それぞれ、個性ある歌たちです。
♪ その人は昔 は、流行歌の範囲に入るかどうか、流行歌の中にはなかなか入れに
くい曲ですね。
僕は声を潰したことはほぼ無いのですが、初めて東北地方に
巡業に行った時、 楽屋で寒い寒いと火鉢にあたり、部屋に目
張りをしてね。 そうしたらステージでぱたっと高い声が出ない。
(その様子を、ちょっと♪ 高校三年生 でモノマネ) 当時は3
回ステージがありましたが、 3回目の頭になって声が出てきた。
火鉢の炭の炭素にやられたのでしょうが、若いって凄いですね。
来年からは、1日1回の二部構成にしてと考えていますが、そう
なってきたんですよ、舟木一夫も。
考えてみれば、よく来ましたね~~。 よくやりましたね~~。 スタッフの力、お客様が
いて下さること、、僕の場合、サボっていた10数年がありますが、歌っていましたし。
お客様へふわ~~っと届く歌が70%、20%がお聴かせする歌、10%が自分と一緒に
遊んでくれる歌であればいいと思っているのですが、さて、ではちょいとお尻を上げて頂
いて、、。
スタンディング&サインボール投げ
♪ 銭形平次
♪ 夏子の季節
このごろ、昼夜これをやると疲れる。 お手伝い頂いて、有り難うございます。
サインボールをゲットなさった方は、お帰りにグッズ売り場で夕べ私が書いた色紙をお受
け取り下さい。 サインなんて最初は読めるように書いているつもりなんです。 デビュー
以来、サインは4~5回変えました。 書いてて退屈してきちゃうので、変えてしまうのです
が、これは珍しいほうですね。
トークが面白いといわれる人は、大体仕込んで来ますね。 ですから僕なんか、ノッペラ
ボーで。
どんな職業だって50年やれば、ご苦労さん~ですが、僕らの稼業はお客さんの個性で
すから。 男の仕事にありがちな波(浮き沈みを右手で表現)はありましたが、皆さんにも
いろいろおありだったでしょう。 僕にもいろいろあり過ぎて、結果的によかったのです。
平熱で考えることが出来た。 かーっと、高熱にうなされて走る、、、なんだ、どこで忘れ
て走っていたんだろう、、、お客さんの大切なことを、50過ぎてからなるほど、、、という、
間の抜けた話です。
日本の四季が豊かであったころ、ある意味
淋しいですが、 歌のなかのスーッとした景
色を切り取ることが出来る、涼やかな風の
香りを持っている最後の方に間に合いまし
たから、いい時にデビューしたと思います。
そんなところを聴いて頂きましょうか。
♪ 初恋
♪ あゝ りんどうの花咲けど
♪ 夕笛
♪ 絶唱
私が飲んでいるのは、京都の水あめを薄~くしたものです。
すみませんね、お茶もさしあげないで。
こういうタイプの歌は、あんまり数を並べるとベターとなって
くるのですが、間に挟んだ ♪ 夕笛 は、最近とみに美しい
と感じる曲で、詩もメロデイも全てが素晴らしい。船村先生も、
「 俺は ♪ 夕笛 が自分の曲の中でも10本の指に入るくら
い好き 」 と仰っていました。 ご自分でもギターを弾いて、
よく歌っていらっしゃいました。
先生が ♪夕笛を吹き込まれたとき、歌詞を間違えて吹き込まれたのですが(きみ
は13~ のところが16になった)、その時のことを亡くなられる2年前にお聞きした
ことがあります。
レコーディングから帰ってから気が付いたけど、オレにも一応プライドってものがあるだ
ろう? ということだったとか。 レコーディングの歌詞を間違えた例として、舟木さんの
♪ 学園広場 の2番のことを挙げられた。 コーラスで、学園広場に が 学園広場で
になったメンバーがいたので、そのため原盤ではにゃ と聴こえてしまうこと。 ”にゃ”
をマネしてしまったら、それから芸能界でお付き合いのある方々の手首骨折やらその他
骨折やらの情報あまたの話に繋がっていき、・・・年よりは風邪と階段には気を付けろ!
の落ちとなる。
そしてトークは再び青春時代に戻って、めでたくステージ進行となっていった。
人としてスタートしていくときの幼児体験と同じで、仕事も本当の恋愛も青春時代にスタ
ートしていくものです。
青春時代と切っても切り離せないのが初めての恋。 そんなところを懐かしく思い出して
もらおうと、並べました。
♪ 花咲く乙女たち
♪ 東京は恋する
♪ 北国の街
♪ 哀愁の夜
♪ 高原のお嬢さん
歌い手にも、皆さんにもいろいろありましたが、作品に恵ま
れてこうして今でも歌っていられるのは、望外の幸せです。
最近は意識して皆さんにも ” 歌い手とお客さんは一対 の
もの ” と言ってきていますが、若い頃はつい忘れてしまう。
お客様の前に立っていること、お客様がいて下さることが
どれだけ幸せなことか、僕は55のとき気が付きました。
随分遅いです。それが日常のことだと思ってしまう。 若い
頃は分からなかったんですね。
男は男で、女は女なりに、いろいろハードルを越えてここまで来た。 どちらが欠けても
成立しません。 どうぞお大事に。
4~5年前から、今の僕らの歌ってなんだろうと考えていたのですが、この辺の歌が今の
僕らの歌だろうと、2つ並べました。
最初の曲は、自分の気持ちを素直に書いたものです。
♪ みんな旅人
あれこれお聴かせしてきましたが、 この辺でこのステージを終わらせて頂きます。
まだだいぶ暑さは残るでしょうから、どうぞお気をつけて。 本日は、有り難うございました。
降りてくる緞帳を、センターの階段から駆け下りてきて支えて、
アンコール
♪ 高校三年生
♪ 学園広場
(舟友さん 花束 夜の部)
2曲とも1番は舟木さんが客席にマイクを向けて下さるので、
会場全体のコーラスとなっていく。
アカペラで始まり、途中から静か
にPタケさんのピアノが奏でられ
ていく。
アンコールの ♪ 高校三年生 では、手拍子を打つことで自分なりの55周年のお祝い
の気持ちを表すことにしている。 「 今年は、思い切り ♪ 高校三年生 をもとの大空に
帰してやりたい」 との舟木さんのお気持ちには、オープニングでお応えすることにして、
エンディングの♪ 高校三年生 は、「舟木さんが私たちに下さった歌」 と勝手に解釈さ
せて頂いて。
デビュー当時の、私たちが舟木さんと自分とを重ねて一緒に歌った歌や抒情歌系の曲・・
いつもながらの通常コンサートではあるけれど、たくさんのバリエーションで楽しませて
頂いて、その度に ” 来てよかった ” との思いを新たにする。
♪ 夕笛 や ♪ 絶唱、 ♪ 初恋 はもちろん、 ♪ 哀愁の夜 や♪ 高原のお嬢さん
で、 瞬く間に ”舟木一夫の世界” を創り上げ、客席を引き寄せていく舟木さんの横顔や
後姿のシルエットは、ステージで輝くスターそのもの。 今、こんなに美しく輝く人をかつて
苦しめた禍々しいものは、時を経て飛び切り上等の芳醇な香りに熟成していったのか、と
の想いも、時にまた重ねたりして。
越谷のコンサートでは、トークの中にいつも以上に舟木さんの今のお気持ちが溢れていた
ように思った。 特に夜の部で、 ♪高原のお嬢さん のあとでのこと。
舟木さんトーク
作品にはつくづく恵まれた歌い手で、舟は進んで行きまして、とりあえずは足掛け55年。
そのことのお礼を言わなければいけません。 どうも、有り難うございます。
どこまで行くの?と言われましても、僕らは現状維持することが大進歩なんですよ。遣り
残したことはありますよ。 でもここへ来て、新しい風呂敷を広げて中途半端で閉めるのは
イヤでしょ? どの部屋を閉めて、最後、どの部屋に居るのが一番心地いいのか、という
ところに来ています。 ~ 4月、5月、10月、11月しか仕事やらないでおこうか~
こぼれていったものもたくさんありますが、何にも考えずに60周年、行けないかも知れな
いが行くつもりで、、、足かけ5年ですよ! どうぞ皆さんもお元気で。
・・・ 舟木さんはこのように思いながら舟を進めておられるのだ。 私たちも若くはない。
これはもう、日々足腰を鍛えて風邪と階段に気をつけ、 舟木さんを今まで以上にしっかり
応援していくしかない!!
結論は、やはりここに落ち着いた。 さあ、 八王子オリンパスホールのNHKのど自慢
大会に駆けつけますよ。 舟木さん、全国の人々に素敵な笑顔で ” 今の僕たちの歌 ”
をご披露して下さい。