舟木さんの竹久夢二 舟木一夫特別公演
『 宵待草 ― 夢二恋歌 ― 』
新橋演舞場
2000(平成12)年9月1日~26日

作・演出: ジェームス三木
竹久 夢二 : 舟木 一夫
岸 たまき: 波野 久里子 東郷 青児 : 山下 規介
笠井 彦乃: 久野 綾希子 浜本 浩 : 丹羽 貞仁
お 葉 : 鴫原 桂 書生 : 竜 小太郎
特高部長刑事 : 菅野 菜保之 岡田 三郎助: 名和 宏
彦乃の父・宗重: 曾我廼家 文童 正木 不如丘: 柳田 豊
第一幕

第一場 麹町署取調室(明治43年5月末)
幸徳秋水らが出版している 「平民新聞」 などに、
反戦的な絵や川柳を投稿していた夢二は、危険
人物として目を付けられ、 特高の部長刑事たち
の取り調べを受けた。
第二場 麹町山元町の家(明治44年10月の夜)

たまきと夢二は結婚後2年目に離婚しているが、再び一緒に生活をしている。
夢二にとってたまきは 夢二式の美人画のモデルとして必要なばかりでなく、
美を求めてさまよい、傷ついた夢二が戻ってくる港のような存在でもあった。
たまきは、大逆事件以降、平民社の集会にも顔を出さなくなった夢二を激しく
責める荒畑寒村らから、懸命にかばう。

第三場 港 屋 の 前 (大正3年10月末)
たまきの自活のために、日本橋呉服町に
「港屋絵草紙店」 を開店。
夢二デザインの小間物、本、カード、趣味
の品、絵日傘、半襟、浴衣などが並べられ、
若い女学生などで大繁盛した。
第四場 麹町山元町の家(大正4年9月夜)

「港屋」 へ集まってくる人々の中に笠井彦乃がいた。
彦乃は日本橋の大きな紙問屋の娘で、女子美術学校で日本画
を専攻する画学生だった。 夢二の絵に憧れ「港屋」に通ううち、
二人は恋に落ちた。
たまきの暮らす家では、「港屋」の2階に出入りしていた若い画学
生たちにより、たまきをモデルに東郷譲二(後の青児)が夢二の代
わりに美人画を描く相談がまとまりつつあった。
第五場 雑司が谷の家
たまきの元を去った夢二のアトリエには彦乃
たまきの元を去った夢二のアトリエには彦乃 が足繁く通っていた。
たまきは彦乃への激しい嫉妬に身もだえし、
夢二のアトリエに乗り込み、3人で暮らすことを提案する。
第六場 麹町山元町の家 (大正4年10月の午後)
夢二がたまきの元を去った後の「港屋」
では、夢二の美人画や作品が補充され
ないので、 東郷青児がたまきをモデル
にして美人画を描いていた。

たまきは彦乃の実家に行き、 自分が保証
人になるから彦乃と夢二を結婚させるよう
頼み、夢二を激怒させる。
二人の関係を知られた彦乃は、親に外出
を禁止され、夢二のアトリエに通えなくなっ
た。
第七場 同 (大正5年12月) 夢二は、たまきから逃れるように京都に
転居した。
何もかも嫌になったたまきは、子供二人
を置き去りにして家を出た。
夢二に助言をしていた画壇の重鎮・岡田
三郎助夫妻が、 次男、 三男の預け先の
算段をした。
第二幕
第一場 高台寺の家(大正7年3月2日午後)

京都高台寺に近い夢二の借家では、 友人の計
らいで京都に来ることが出来た彦乃と、たまきの
失踪後東京から引き取った不二彦との3人で暮
らしていた。 しかし、 彦乃の父が娘を奪い返す
ため、 高台寺の借家を訪ねてきた。

夢二は京都での2回目の個展が成功
したら結婚の許しを得るために上京す
るつもりでいたのだが、 幸せな生活も
束の間、 彦乃は肺結核に冒されてい
た。
喀血した彦乃は、父に無理やり東京に
連れ帰られ、順天堂病院に入院する。
第二場 順天堂医院廊下 

夢二と不二彦は見舞いに上京するが、父の息の掛か
った用心棒や医師に阻まれ、面会することも出来ない。
さらにキリスト教の団体矯風会の会員に罪を犯したと
なじられ、死の床にいる彦乃からの伝言を伝えられる。
「どうか竹久夢二の名を、惜しんで下さい。」という彦乃
の言葉に涙を流す夢二と不二彦。 彦乃は夢二と顔を
合わせることなく帰らぬ人となってしまう・・・・。
第三場 菊富士ホテル(大正8年の秋の夜)

彦乃を亡くし、失意の夢二を心配した友人の恩地孝四郎は、 新しいモデルとしてお葉を紹介した。
夢二はお葉をモデルに再び絵を描き始め、本郷の高級下宿
菊富士ホテルで同棲を始めた。
夢二と暮らしながら銀行員と新婚旅行に出かけ、途中で帰っ
てくるなど、お葉の奔放でだらしない性格に手を焼きながらも、
夢二はお葉と所帯を持ち、 夢二式の一流の女性に仕立て上
げようと考えていた。
第四場 帝国ホテルのパーティ会場(大正12年7月上旬)
大正12年、夢二は、あらゆる図案、文案、美術装飾の仕事
を行う 「どんたく図案社」 の設立を計画する。
商業美術を芸術と認めず、一段下に見る風潮に反発、華々
しく発会式を執り行った。
「どんたく図案社」は、代表者・竹久夢二、同人・恩地孝四郎他、顧問・岡田三郎助、藤島
武二、文案顧問・久米正雄、吉井勇が参加するという、豪華メンバーであった。 しかし、
関東大震災で引受人の印刷所が壊滅、計画は頓挫してしまう。
第五場 少年山荘(大正14年4月) さらに大正14年、 お葉との新生活のために建てた家
で、夢二が他の女に夢中になったのを嫉妬して、お葉
が書生と心中を図る。古くからの夢二の理解者で、医
師で小説家の正木不如丘(ふじょきゅう)の手当てで一命
を取り留めたが、お葉は家を出て夢二のもとを去って
ゆくのだった・・・。
第六場 高原療養所 (昭和9年9月1日早朝)

昭和6年5月 横浜港から出帆~ホノルル~アメリカ
本土~ヨーロッパ各地~
昭和8年8月 ナポリ港より出港
9月 神戸に帰港 体調を崩して帰国。
11月 台湾へ。 帰国後、病状悪化。
昭和9年 1月 信州の富士見高原療養所の正木不如
丘所長に迎えられ、特別病棟に入院。
5月~7月 ヘルペスのため右手の自由を失う。
9月1日 午前5時40分逝去
医師、看護婦に看取られた後、たまきさんが掃除婦
さんの姿で登場して夢二のベッドの周りを清掃する
ところで、この劇は終わっている。
エピローグ

劇の最後にたまきさんが登場したことは、
とてもよく覚えている。
このラストはどうしてだろう、と凄く不思議
に思ったから。
どうやら、たまきさんは夢二が亡くなった後、
実際に富士見高原療養所を尋ね、 数ヶ月
滞在したのではないかということだ。
「夢二がお世話になりました」 ということで、
入院患者のトイレ掃除や寝具のお世話など、
献身的に働いたのだとか。
そのように伝えられているからこそ、脚本の
ジェームス三木さんは、 ラストにたまきさん
を登場させたのだろう。
(写真・あらすじ参考:公演パンフレット)


そうなると、 医者と看護婦に
看取られただけで、一人で逝
ってしまった夢二さんの胸に
去来した影は誰だっただろう、
と夢二の生涯がまた謎めいて
くる。
あんなに永遠の女性を求めて
愛の遍歴を繰り返してきたとい
うのに、、。
一人で逝くことを望んだ夢二さ
んだが、やはり彦乃さんだろう
か。 慕い続けた故郷の母や姉
の松香さんだったろうか。
愛憎を繰り返したたまきはしっかりと夢二の絵のベースとして息づき、男を誘うこ惑的な
お葉の向こうに彦乃の駆け引きの無い愛を追い、力尽きて倒れた夢二。
夢二の晩年は、痛ましい。 2年間のアメリカからヨーロッパへの旅が夢二にもたらした
ものは、欧米では絵が評価されなかったという挫折と失意。 台湾行きは画商に騙され
たのか、それに輪をかけての落胆、傷心、そして病魔。
のどの渇きはいっときの冷たい水のみでは収まらないように、夢二の心の乾きは50年
の生涯で、ついぞ満たされたことはなかったように思える。 しかし、今でも夢二の詩や
画、デザインは、決して古びることなく若い人たちの心までも捉えているようだ。 日本
各地に夢二記念館はあるし、いつでもどこかで夢二展が開催されているように思う。
代表作「黒船屋」の今年の公開期間は、 9月10日(土)~23日(金)
竹久夢二伊香保記念館HP
弱い存在にもしっかりと目を向けながら、女性に限らず美しい存在を生涯求め続けた竹久
夢二の眼差しの先にあるものに、いつまでも触れていきたいものと思う。
最後に舟木さんのお芝居について、パンフレットより、、、、P56~57
お芝居については18年も前のことだけど、今読んでも嬉しい。
久里子さん、有難う。 「夢二恋歌」でも、舟木さん、ハートでぐいぐい
迫ったのでしょうね。

舟木一夫 = プロフィール
津田 類 (演劇評論家)
一昨年八月、ここ新橋演舞場での 『おやじの背中』 を見た後、波乃
久里子の楽屋を訪ねてしばらく雑談を交わした。 そのとき、「舟木っ
て芝居がうまいね、びっくりした 」 といったら、「 でしょう? あの人の
芝居をいわゆる歌手芝居のイメージで見ちゃだめよ。 そばにいてて
ね、ハートでぐいぐい迫ってくるんだもの。そりゃすごい。ほんものよ」
と絶賛した。芝居のうまさでは定評のある久里子の言葉には重みが
あった。 (中略)
少年時代の成長過程で舐めた苦汁、青春時代の栄光と挫折。役者
舟木一夫の肉体の中には、人生のいろいろなエキスがふんだんに詰
まっているはずで、むしろこれからの人なのだ。
(竹久夢二 完)