日伊国交樹立150周年記念 メディチ家の至宝
ルネサンスのジュエリーと名画
2016年4月22日(金)–7月5日(火)
東京都庭園美術館(本館・新館)
《マリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像》
1551年 油彩/板 フィレンツェ
ウフィツィ美術館(彫刻絵画美術館)蔵
イタリアの花の都フィレンツェで、300年にわたって栄えてきたメディチ家
の秘宝が、東京都庭園美術館で公開されていた。
ルネサンスの多くの芸術家たちをパトロンとして支援し、 トスカーナ大公
や教皇まで輩出した大富豪一族・メディチ家。 その波乱に満ちた一族の
歴史を物語り、富と権力の象徴でもある珠玉のコレクション。
何しろ、日本国内初のこの展覧会を見逃せば、フィレンチェのウフィツィ
美術館にまで行かなければならない。判ってはいても、ついつい、、今回
も例によって、公開期間は後わずかという時になって、慌てて出かけてい
った。
メディチ家の栄光と悲劇を鑑賞する館は、1933年に朝香宮の邸宅として
建設され、現在は美術館として公開されている東京都立庭園美術館。
アール・デコ様式の空間で、メディチ家の至宝を堪能できることとなった。
《フランス王妃、カテリーナ・デ・メディチ 《イザベッラ・デ・メディチの肖像》
(カトリーヌ・ド・メディシス)の肖像》
1547-1559年 油彩/カンヴァス 1558年頃 油彩/板
《赤ん坊を入れたゆりかご》 《ナクソス島のバッコス 《セイレーンがついたペンダント》
1695年頃 とアリアドネ》 1570-1580年頃
金 七宝 2個のバロック真珠 カメオ オニキス 金 金 多色七宝 5個のダイヤモンド
28個のダイヤモンド 20の真珠 1個の真珠 多色七宝 26個のルビー 7個の真珠
メディチ家の栄華を今に伝える、眩いまでの美術工芸品。
真珠やダイヤをふんだんに使ったドレスやジュエリーの豪華さには、目を
奪われる。 まさしく富と権力の象徴の数々。
ただ、銀行家として財を成したメディチ家一族の歴史は、権力の魔力に絡
められ、光と影が綾なす波乱万丈を呈して、決して幸せなものにはならな
かったが、、、。
ささやかながら、舟木さんの東宝映画で
『 君に幸福(しあわせ)を センチメンタルボーイ 』
舟木さんと並んだ内藤洋子ちゃんの輝くばかりの美しさ!
初恋って―― 真珠みたいに美しい
ばら色の頬、滑らかな肌、 豪華な真珠のジュエリーをつけた
メディチ家の女性・・・・日本初公開
17歳でこの世を去ったマリア・デ・メディチの肖像画
ブロンズィーノ(1503-1572年)作
初代トスカーナ大公となったコジモ1世と、 妻でスペイン貴族のエレオ
ノーラ・ディ・トレドの長女。 美貌の持ち主で知られた母親譲りの美しさ、
この愛らしさで早逝し、 トスカーナ大公夫妻を嘆き悲しませたマリアに、
真珠みたいに美しい初恋があったなら救われるけれど、初代大公は専
制君主だったということだから、、。
14~15世紀、フィレンツェの実質的な支配者であり、ローマ教皇まで
輩出し西ヨーロッパに君臨したメディチ家も、16世紀後半には勢力が
衰えていった。 衰え行くメディチ家を誇り高く継いだのは、フィレンチェ・
ビッテイ宮殿に暮らした最後のメディチ家直径の女性、アンナ・マリア・
ルイーザ・デ・メディチ(1743年死去)。
彼女は遺言として「メディチ家のコレクションが
フィレンツェにとどまり、一般に公開されること」
を条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に
寄贈した。 これにより、メディチ家の財産は、
フィレンツェの遺産として現代まで遺されること
となった。
14~15世紀、 ルネサンスの煌き、メディチ家の
興亡の歴史を至宝を通して目の当たりに出来る
のは、誇り高きアンナ・マリア・ルイーザのお陰と
いえる。
会場である東京都立庭園美術館へは、JR山手線目黒駅東口から
徒歩7分。
ぶらぶらと歩いて行くうちに、八幡神社と高福(こうふく)院・・・神社と寺院が並んでいた。
周りが都市化して、神社も寺院も随分窮屈そうだったが、それにしても、福が高まり
幸せになるお寺さんて、いい名前だこと。
続 く