絶 唱 の 旅 ③
2015.10.30(金)~10.31(土)
西河克己映画記念館
1966(昭和)41年~1968(昭和43)年にかけて、舟木さんの日活映画、 「哀愁の夜」
「友を送る歌」 「絶唱」 「北国の旅情」 「夕笛」 「残雪」 を撮って下さった西河克己監督
は、幼少期の4年間を智頭町で過ごされた(大正7~11年)。お父さんの仕事のため上京
されたが、幼少期を過ごした故郷への思い入れは深く、舟木さんの「絶唱」では智頭町でも
ロケを行った。 2001年、映画関係の資料を智頭に寄贈されたことにより、西河克己映画
記念館が開館した。


↑
石谷家(屋号塩屋)近くにある、西河克己記念館の入り口・・・旧塩屋出店
西河克己映画記念館は、敷地内にある1897年頃の和風建築物とともに
国指定有形文化財になっているが、 入り口を入ってすぐのこの和風の建
物(↑)がその和風建築かも知れない。

西河映画記念館
1930(昭和)年頃、旧塩屋出店の裏庭に建てられた2F建の西洋館。 療養施設として
建てられた後、子どもたちの文化育成のためなど、キリスト教の教会堂として使用されて
いた。 智頭をこよなく愛する西河監督から映画関係資料が寄贈されたのを機に、2001
(平成13)年、映画記念館として活用されることになった。
Kazuyan_hmさんが事前にコンタクトを取って下さっていたため、館長さんの貴重な解説付き
ご案内で、 記念館の内部を隈なく、ゆっくり拝見することが出来た。


日本映画監督協会の忘年会で、「絶唱」を掲げて 監督愛用の帽子
乾杯の音頭をとる西河克己監督
西河監督俳句色紙
館内展示のシナリオを見せて頂いた。順吉さんの父・園田惣兵衛役に滝沢修さん、小雪
の母・サト役に奈良岡朋子さんなど、新劇で鍛え劇団民藝を代表する役者さんの名前が
見える。 最初のキャスティングはこのようだったのかも。 実際に演じられたのは志村喬
さん、初井言栄さんであるが、小雪の父親役・花沢徳衛さんなどとともに芸達者な本職の
俳優さんたちにより、 舟木さんの 「絶唱」 は芸術祭参加作品に相応しい作品にして頂け
たと思う。
【館内展示の 写真より】
智頭駅近くのロケ風景 順吉と小雪は園田家と縁を切り、二人での
暮らしを始めた。 生活のために、慣れない
肉体労働をして働く順吉。


ロケ日記より 別冊「近代映画」 1966年11月号 P142

○月×日
一時、撮影を抜けて石川県小松をふり出しに巡業に出たが、
淡路島の洲本から鳥取に入り、鳥取ロケ第一日目を迎える。
舞台が山陰地方なので、鳥取の砂丘を入れての大ロケーシ
ョン。 まず、最初に材木置き場で、丸太を運ぶシーンの撮影。
大きな丸太を肩にかけて運ぶのだが、 この作品ではまったく
重いものを抱きかかえたり、 運んだりで、力を強くするトレー
ニングに励んでいるようだ。
撮影はこのシーンだけだったので、 午後からは日本海を相手に大奮闘といっても、この夏、
初めての水泳を楽しむ。 東京近郊とは違い、すき通るような綺麗な水に挑戦した。 白兎
(はくと)海水浴場といって、” 因八幡(いなば)の白兎 ” で有名な海岸。
三時間あまり太陽と水に囲まれ、自然の中に溶け込んでいった。 そして、白兎神社と大国
主の命と白兎の神話を聴き、小学校時代の教科書を思い浮かべました。
山陰地方は伝説も多く、街全体も落ち着きを持ち、景色もすばらしく、山のさち、海のさちと、
食べものにはことかかない。
翌日は、鳥取砂丘でのロケ。 原作では、冬の雪が舞う日に順吉さんは小雪が病んでいる
とも知らず、 松江大橋を渡って二人で暮らしていた経師(きょうぎ)屋の二階を目指してシベリ
ア抑留から帰ってくるのだが、西河監督の作品では真夏の砂丘を踏みしめて帰ってくる。
生命の灯が消えようとする寸前ではあっても、小雪には順吉が砂を踏みしめるざくざくという
音が聞こえてくる。 ” ああ、あの人が、帰ってきなる、、” と。
しかし、500人ものファンを前にしての撮影は大変。

○月×日
~~
鳥取ロケの二日目。 僕の出演シーンとしては二日間しかないので、本日をもって鳥取での
撮影は終わり。 早朝から砂丘のロケ。
鳥取大砂丘国立公園とあって、実に素晴らしいものだ。
五百人のファンに囲まれての撮影、 兵隊服に身をつつんだ順吉こと僕は、さすがに軍靴を
はいての砂地の上の歩きではバテ気味だった。
思うように足が上がらず、倍以上に足の疲れが出る。
日かげもないし、熱い太陽に直接あたっているし、また白い砂丘ときているから、反射する
光線に目がまばゆいばかり。 十時も過ぎると大変な暑さ。 軍服には汗がにじみ出て来る。
現場が移動すると、それにつれてファンの列が一緒に移動する。 五百人の人が移動するの
だから大変な砂ボコリ。 顔、頭は真っ白になるし、目には入るしで閉口した。
しかし、暑い中をロケ現場にいらしたファンの方々には感謝します。 ~~~


「夕笛」での若狭ロケ写真
館内の様子




昭和30年頃、若桜町映画館で使用されていた昭和28年製造の
映画映写機。 子供の頃、映画館の映写室で見たことがある
映写機のよう、、、時々フィルムが切れて待たされた。
石原裕次郎さんと吉永小百合さん、浅丘ルリ子さんの映画「若い人」も、西河監督だった
とは、、。 石坂洋次郎作品の中でも、「若い人」 は大好きで、間崎先生を恋する早熟な
江波恵子のその後を想像したりしていた。 小百合さんとは違うイメージを描いていたが、
冒頭の遅刻をするシーン、、、間崎先生の一言で全校生徒の目が一斉に自転車の江波
恵子に注がれるシーンでは、映画を見て長崎の活水女学院辺りのエキゾチックな佇まい
に憧れた~中二のとき~。
日活でプログラムピクチャーといわれるくらいたくさんの映画を撮り、 映画界の黄金期に
あって多くのスターを育てた西河克己監督。 舟木さんの悲恋三部作も撮って下さった。
その業績を、懐かしいポスターやたくさんの資料でゆっくり辿ることができた西河克己映画
記念館であった。
舟木さんの「絶唱」においては、原作は松江でありながら智頭町、烏取砂丘、賀露港(鳥
取港)でロケが行われたということであり、鳥取・智頭をこよなく愛する西河監督の気持ち
とともに、 郷土出身の西河監督とロケ隊を迎えた地元智頭町の当時の方々の喜びと賑
わいが、館内の展示からそこここに伺われた。
西河監督の映画への愛情やふるさとへの思いが詰まった記念館で、 館長さんには当時
の映画界事情など特別解説をして頂き、 若かりし舟木さんに出会い、、楽しくて充実した
ひととき、、本当に素敵な秋の宵のひと時であった。
今度「絶唱」を拝見するときには、また新たな思いで順吉さんと小雪の純愛を見つめること
が出来るだろう。
さて、いよいよ今夜のお宿へ急ぐこととしよう。 秋の味覚に舌鼓を打ちながら、舟友さん
たちと心ゆくまでのお喋りは、、、これこそ旅の醍醐味、、、楽しみ、楽しみ。
④へ続く