【 新緑の 上野公園 散策 ⑤ 】 を
2015.5.24(日)
(敷地内側から)
寛永寺・輪王殿の正門である旧本坊表門(通称:黒門)を抜けて、 寛永寺・根本
中堂に行ってみる。
中央噴水から、東京国立
博物館を見る。
特別展
「鳥獣戯画─京都 高山寺
の至宝─」
が開催されていた。
平成館 特別展示室
2015年4月28日(火)
~ 2015年6月7日(日)
会期終了間際の日曜日でもあり、すぐに観覧できるはずもなかったが、「鳥獣戯画」
展示コーナーまで、160分待ちの表示、、。 3時間近く待つ気力はなく、お手軽なとこ
ろでショップへ向かう。
東京国立博物館平成館までは、待ち時間0で
すぐに入れるが・・・クリアファイルで拝見気分。
ついでに、思いがけず出会った 木陰のなか、奏楽堂の前を通って行くことにする。
黒田清輝 「湖畔」 も購入。
舟木さんの曲にも
「帰郷」はありますが。
若い芸術家の作品を眺めながら
奏楽堂へ。
重要文化財
旧東京音楽学校奏楽堂
設計: 久留正道
(奏楽堂前設置のパネルより)
寛永寺に向けて信号を渡ると、煉瓦造りの立派な建物と同じ外観の珈琲専門店が、、。
黒田記念館別館1,2Fに入っている 「上島珈琲店黒田記念館店」
「黒田記念館」 とは、
もしかして、あの黒田清輝の、、、?
作品や遺産を美術の奨励に役立てるように、という洋画家・黒田清輝(1866~
1924)の遺言により創られたという「黒田記念館」。
昭和3年(1928)に竣工、同5年に帝国美術院附属美術研究所として開所した。
現在は、東京国立博物館に属する施設であるから、 さっきのショップで「湖畔」
のクリアファイルが購入できたのも、当然だった。
油彩画約130点、デッサン約170点、写生帖などを所蔵し、特別室と黒田記念室で
展示されている。
《 湖畔 》 1897年 (重要文化財)
69×84.7㎝ 油彩・画布
「 近代日本洋画の父 」 とも称される黒田清輝の最高傑作 「湖畔」 のモデルは、
後に黒田夫人となった当時23歳の照子。 避暑に来た箱根・芦ノ湖を背景に、浴
衣を着て団扇を持ち、岩に腰掛けている。 芦ノ湖は悠々と水をたたえ、遠くには
小高い山々。
日本の夏独特の湿潤は、避暑地の風景でさえ、しっとりと湿らせるものらしい。
涼やかで瑞々しい色彩と女性の雰囲気が見事に溶けあって、日本の高原の気
配が伝わってくる。 パリで学び ”外光派” とされる黒田清輝の、自由で明るさ
に溢れた独自の洋画表現の中にも、しっとりとたおやかな情緒がたっぷりと滴っ
ているようだ。
最近、 黒田清輝の幻の作品がオークションに掛けられたとの新聞記事があった。
(2015.7.19 読売新聞)
その画は、黒田が亡くなった翌年出版の「黒田清輝作品全集」には図版が掲載され
ていたが、当時から個人が所蔵していたため、 一般公開されていなかった 「 秋の
清水寺 」 (油彩画)。 文献や様式などから、 優れた作品の多い1890年代半ばの
作品とみられている。 この時期の黒田作品が再び注目される機会となったのでは、
ということである。
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「湖畔」に描かれた女性は、たおやかとしか言いようがない雰囲気を醸しているが、
芦ノ湖を背景に高校生の佐藤 洋君(舟木さん)は、うんとキュートで可愛い女学生
やその仲間たちと、清らかで爽やかな青春を過ごしていたのだった。
東映映画 「君たちがいて僕がいた」 1969年
湖畔のホテルのガーデンから
ヒロシ君は急に駆け出して・・・
後を追うチョコちゃん
二人で松林へ うふっ ヒロシ君が好き!
豊かに広がる芦ノ湖を眼下に、行き交うロープウエイ
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《黒田記念館特別室 秋の公開 》
2015年10月27日(火)~11月8日(日)
代表作である「読書」(1891年)、「舞妓」(1893年)、「湖畔」(1897年)などは、特別
室で年3回、新年、春、秋に各2週間の公開となっている。 会期は短いが、 秋には
ぜひこの涼やかな美女にお目に掛かりたいものである。
黒田記念館のお隣は、国際こども図書館
児童書を専門に扱う図書館で、国立国会図書館の支部図書館であり、明治西洋
建築の旧帝国図書館を増改築しながら、今の姿になっているという。。
ネオ・ルネサンス調の風格ある建築、
明治の雰囲気を今に残している。 (説明のパネルより)
「国際子ども図書館」は、ルネサンス様式を取り入れた明治期洋風建築の代表作
のひとつ。 「 旧東京音楽学校奏楽堂 」 なども設計した久留正道による設計で、
「東京都選定歴史的建造物」に指定されている。
国際子ども図書館の前庭には、
噴水の中に「小泉八雲記念碑」
があるということだが、改修中の
今は、生憎 工事用の囲いの外
に移動していた。
(Wikipediaより)
小泉八雲を顕彰する碑
天使群像彫刻 「蜜」
この記念碑は、小泉八雲の東京帝国大学時代の教え子であった詩人の土井晩翠
が、23歳で病没した長男英一の遺言に基づいて、小泉八雲を偲んで昭和10年に
建てたもの、ということである。
碑は八雲の肖像のレリーフを正面にはめ込み、上部は壷を囲む天使達の群像彫
碑は八雲の肖像のレリーフを正面にはめ込み、上部は壷を囲む天使達の群像彫
刻となっている(小倉一郎作「蜜」)。
工事中のため後に回り込むことが出来なかったが、 裏面には小泉八雲の略歴を
書いたあと、土井晩翠の長男の遺言に基づいて、父の土井林吉(りんきち・土井晩翠
の本名))が記念碑を建てた旨が刻まれているとのことである。
現在、貴重な建築遺産を保存利用しながら、新しい機能と空間を合わせもつ図書館
としてリニューアル工事が行われている。 既存棟に併設する形で近代的な新棟が
増築され、平成27年に完成予定とのこと。 貴重なルネサンス様式の明治期洋風建
築代表作の建物に並んで、どのような新棟が完成するか、上野散策の楽しみがまた
一つ増えてきた。
《 歴史と文化の散歩道 》
東京国立博物館~奏楽堂~黒田記念館~国際こども図書館~寛永寺への道は、
東京都が定めている「歴史と文化の散歩道」(23ヶ所)の「谷中コース」に当たって
いた。 しかし寛永寺への道を急ぐあまり、 会期中の国宝絵巻や日本の代表的
洋画家の作品を鑑賞したり、ルネサンス式建築物の中に入って明治を味わうとい
うことが出来なかった。 まったく、上野は駆け足で巡るにはあまりにもったいな
いところだ。
わずか半日の上野戦争(1868年7月4日・慶応4年5月15日)により全山焼き払われ
てしまった上野が、明治6年(1873) 「上野公園」となり、日本で最初の公園として
甦った。 明治15年(1888)、東京国立博物館が開館して以後、 この地は数多く
の文化施設が集まり、上野のお山は百数十年以上 ” 文化の森 ” として親しまれ
てきたことになる。 やっと 上野のお山の中心だった「 東叡山寛永寺 」 の門が
見えてきた。