~ 東京藝術大学大学美術館 ~
2013.5.14(火)~7.7(土)
~2~
上野公園内に吉野の桜が・・・
「吉野木挽歌」
♪ ハァ~ 吉野~ 吉野~と 訪ねてくればよ~
吉野千本 花ざかりよ~
「絶唱」で、順吉さんと小雪が(なぜか奈良県民謡を)唄った「吉野木挽歌」
吉野の山から上野公園に桜が寄贈されていた。
上野の森にある建物案内
「漱石の美術世界展」チラシ裏
ターナー 《金枝》 1834年 テイト、ロンドン
「坊ちゃん」 で、ターナーの名前が出て
くるところ
一年中フランネルの赤シャツを着て、妙に女の
ように優しい声を出す教頭 ” 赤シャツ ”
まったく芸人風で常に ” 赤シャツ ” に付き従って いる画学の教師 ” 野だいこ ”
釣に誘われ、断ると下手だから、嫌いだから
断ったのだろうと邪推されるのがいやで、三人
での釣をOKした坊ちゃん。
船頭が船を漕ぎ出し、いい景色の海の上での会話。
「あの松を見たまえ、幹が真直(まっすぐ)で、上が傘のように開いてターナーの画に
ありそうだね」と赤シャツが野だにいうと、野だは「まったくターナーですね。どうも
あの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。
ターナーとは何のことだか知らないが、聞かないでも困らないことだから黙っていた。
(岩波文庫「坊ちゃん」P48)
そのあと、赤シャツと野だの間では ” 向こうの青嶋をターナー島と名づけよう ” との
相談までもまとまったようである.。
古代ローマの叙事詩の場面を描いて、幻想的な風景画となっているターナーの《金枝》。
漱石はロンドン留学のおり、英国美術の研究を抜きにして英文学研究はできないと、
ナショナルギャラリーなどに随分と足を運んだということである。
そのとき吸収してきた英国を中心としたヨーロッパ美術の知識や、吹かれてきた風と空気。
その後の作家活動の中で、それらがふんだんに作品の中に顔を覗かせ、会話の元となり
登場人物の心象を彩っていくこととなる。
といっても、今回の美術展でそのことに眼を開かされたばかりなのだが、漱石作品の中に
散りばめられた美術作品を探しながら漱石文学に親しんでいけたら、、、一味違った文学の
旅ができそうである。 何しろ洋の東西を問わず、膨大な知識と教養の持ち主の漱石さん
だったのだから、、、。
その漱石さんは、28歳の頃、東大も卒業して高校の英語教師をしていた。
一時病気療養中だったが、同級生の口ぞえで松山中学(現愛媛県立松山
東高校)に赴任した。英国留学の5年前のことである。帰国後、このときの
体験をもとに無鉄砲で痛快な青年教師が主人公の「坊ちゃん」を発表。
私たちは教科書でお馴染みになったし、TVドラマでもあった様に思う。
「坊ちゃん」の”おれ”を心底可愛がってくれるのは ” ばぁやのお清 ” だけ
という生い立ちもちょっぴり複雑で、孤独。なのに、なんとも胸のすくような
正直さと痛快さ!発表当時から拍手喝采でもって受け入れられたことだろ
う。
世間のややこしさも煩わしさも、ぶんぶん跳ね飛ばしながら 四国松山を
駆け抜けた「坊ちゃん」
漱石さんに、西條八十さんの詩でできた舟木さんの「オレは坊ちゃん」
の出来上がりのよさ、聴いていただきたいほどである。
「オレは坊ちゃん」
昭和43年6月発売
作詞: 西條 八十
作曲: 船村 徹
♪ オーイ オレは坊ちゃん
江戸っ子だい
好きなばぁやの お清に別れ
初の船旅 四国へ来れば
キザな赤シャツ まぬけな野幇間(のだいこ)
暮れりゃ 東京の灯が恋し
デビュー5周年記念 明治座公演主題歌
~ ~ ~
~ ~ ~
田舎湯町の 中学教師
起きりゃ楽書き ねむればイナゴ
餓鬼のうるささ ところのせまさよ
今日も思案の 湯のけむり
オーイ オレは坊ちゃん
江戸っ子だい
あそこ行くのは マドンナさんか
陰に赤シャツ ウロチョロと
明日は東京 辞職ときめたよ
投げた卵の 気持ちよさ
西條八十さんの、まるで小説そのままの ” オレは坊ちゃん ”
船村徹さんの軽快な音作り。舟木さんの生きのいい江戸っ子ぶり.。
大人しく卒業しておいた物理学校(東京理科大学)の校長先生から
のお話を、親譲りの無鉄砲で引き受けて松山にやって来た”坊ちゃん”
23歳4ヶ月。 「明治座」で演じる舟木さんも同じく23歳。
水を得た魚のように演じられた”坊ちゃん”だったことだろう。
【 明治座 】
坊ちゃんは
食いしん坊
おなかがすいて
堪らない
天麩羅蕎麦4杯
4日後
道後温泉で食べ
た団子2皿
すべて翌日の
教室の落書き
となっていた
「明治座出演5周年記念舟木一夫8月特別公演」パンフレットより
左は伊志井寛氏
ばぁやの清は 英 太郎さん
坊ちゃんが、松山中学で数学教師を
していたのは、ほんの1ヶ月あまり。
黒板の落(楽)書きも、イナゴ事件も、
新任教師への生徒たちの手荒な歓迎
の洗礼だったのだろうが、坊ちゃんに
マドンナは現れず、清が恋しくなるばかり。
江戸っ子が竹のようにまっすぐ生きるに は、周りはみんな理不尽すぎるぞ。
べらんめぇ!!
いい加減な野だいこに今までの怒りが爆発、
飛白(かすり)の袷の袂に入れていた
(栄養補給用の)卵を、ここぞとばかり8つも投げ
つ けてしまった。
「1ヶ月あまりの辞職では、きみの将来の履歴
に関係するからね」と引き止める(狸の)校長に、「履歴なんか構うものですか、履歴より
義理が大切です」と、山嵐と共に辞表を出した。 これで中学教師の職は1ケ月余り。
東京へ着き ” 清や、帰ったよ” と清のもとへまっすぐ帰った。
正直で、喧嘩っぱやくって、筋が通らないことに我慢ができない”坊ちゃん”
「あなたは真っ直ぐでよいご気性だ」と、誉めてくれ可愛がってくれた清は、
しかし、今はもういない。
漱石作品の中の位置づけを考えて「坊ちゃん」を読んでいく必要もあるの
だろうが、いつまでもばぁやの清を慕う、まっすぐな気性の江戸っ子青年が
愛らしく、ずっと中・高生向きの胸のすくような痛快ユーモア小説のままで
読んでいきたいような ”べらんめぇ坊ちゃん”の物語である。
昭和43年の明治座に駆けつけることは到底できなかったが、巻き舌で
舟木さんが溌剌と演じられたであろう江戸っ子坊ちゃん。何だか想像できる
ような気がする。