夏目漱石の美術世界展
~ 東京藝術大学大学美術館 ~
2013.5.14(火)~7.7(土)
~1~
7月4日(木) 11:00
JR上野駅公園口待合わせ
みてから
よむか
文豪夏目漱石の作品を読んでから見に
行ったのでは、間に合わない。
何しろ、6月は演舞場詣でに明け暮れ、
7月6日は中日劇場、この展覧会は
7月7日まで。
”みてから”よむ に決まっている!
近代日本を代表する文豪、国民作家として知られる夏目漱石(1867-
1916)。漱石は日本美術やイギリス美術に造詣が深く、作品の中にも
しばしば言及されていることは多くの研究者が指摘している。
この展覧会では、漱石の文学作品や美術批評に登場する画家、作品を
可能な限り集め、実際に美術作品を展示することにより、漱石がもって
いたイメージを視覚的に読み解いていくこととする。
伊藤若冲、渡辺崋山、ターナー、ミレイ、青木繁、黒田清輝、横山大観と
いった古今東西の画家たちの作品を、漱石の目を通して見直してみる
ことになるだろう。
(参考:漱石の美術世界展HP)
例えば、こんな風な展示となる。
最初の「吾輩は猫である」の凝った装丁や挿絵の展示で、いかに当時
の書籍が丁寧に、贅沢に作られた”美術”作品であったか、と感心させ
られる。
次の「漱石文学と西洋美術」において、「坊ちゃん」に出てくる赤シャツの
言葉のパネル。
「あの松を見たまえ、幹が垂直で、上が傘のように開いてターナーの画
にありそうだね」
まさにパネルにある文章通り
のターナーの絵が飾ってある。
ロンドンで、実際に漱石がこの
絵を見ていたから、作品の中に
登場したのだろうが、しかし、
「坊ちゃん」のなかで、作品名は
明示されていない。
学芸員の方が、赤シャツの言葉のもとになっている絵を、ターナーの絵
から探し出し、それをロンドンのテイト・ギャラリーから2点(もう1点版画
の展示あり)借り受けて、展示してあったのだ。
漱石の文学作品と英国絵画との出会い。
漱石の作品と絵画を重ねて、漱石作品を視覚的に捉える展示は、画期的で
あったようだ。漱石作品の愛読者なら、このような試みでこそ作品を読んで
みたいと、きっと待ち望んでいた展示会だったに違いない。
「三四郎」の中で、主人公と美禰子が画集を
見て引き込まれるシーンに登場
ウォーターハウス 《人魚》
1900年 ロンドン王立芸術院
「倫敦塔」にちなんで
ミレイ 《ロンドン塔幽閉の王子》
1878年
ロンドン大学 ロイヤル・ホロウェイ
絵画コレクション
「夢十夜」のイメージ
になった、新約聖書
を題材にした作品
おびただしい数の豚の
群れが、崖から落ちて
いる。
B・リヴェイラー
《ガダラの豚の奇跡》
1883年
テイト・ロンドン
「薤露(かいろ)行」
アーサー王伝説を題材にした幻想的な短編集の中に、
ミステリアスな〈シャロットの女〉が登場する。
鏡を通してしか世界を見ることを許されていないこの
女性は、薄物の白いドレスの裾を縛られ、右手に何
か握って、覗き込むような仕草をしている。直に見て
はいけない騎士ランスロットの姿を見ようとしている
のか、まことにもって、ミステリアス!
ウォーターハウス 《シャロットの女》
1894年 リーズ市立美術館
このような女性も 「薤露(かいろ)行」には
登場するのかどうか、、。
「可憐なエレーン」とも思えないのだが。
ロセッティ 《レディ・リリス》
1867年
(作品目録に所蔵先記載なし)
「薤露行」とは、人生はニラの葉に宿る露のようにはかないという意味の中国の古い詩句
から、亡くなった人を悼む「挽歌」としてつけたタイトルのようである。
騎士ランスロットをめぐって、呪いをかけられたミステリアスなシャロットの女と「可憐なエレーン」が
登場する。 叶わぬ想いを自ら断ち切ったエレーンのなきがらは、舟に乗せられて川を下り、
アーサー王の宮廷に流れ着く。漱石は二人の女性を表裏一体のように描き、その薄命を挽歌
にした。
その連想からか、 ミレイ 「オフィーリア」 が出展されていた。
ただし、作品目録には名前がないので、テイト・ブリテンからの本物ではなく、参考用パネルとして
の展示だったのかも知れない。
しかし、見覚えのある画が出現し、 しかも「ハムレット」のオフィーリアが横たわっていたの
だから、驚いてしまった。
漱石さんも、1852年作のこの絵をご覧になっただろうか。ヴィクトリア朝の最高傑作だということだ
が、、。
見覚えのある画といえば、下絵であるがこんな画も出展されていた。
青木 繁 《わだつみのいろこの宮》 下絵
1907年 栃木県立美術館
「それから」の中で、代助は思った。
いつかの展覧会に青木という人が海の底に立っている
背の高い女を画いた。代助は多くの出品のうちで、あれ
だけが好い気持ちにできていると思った。つまり、自分も
ああいう沈んだ落ち着いた情調におりたかったからであ
る。
(岩波文庫 「それから」 P63)
代助がこう思ったということは、漱石さんも
同じくそのように思ったということ。
海幸彦、山幸彦の神話を題材に取った青木繁の
この画の中に、”好い気持ちでできているもの”を見出した漱石は、
青木繁を賞賛したようである。
今までの日本画壇にない強烈な「美」の主張を、英国絵画を数多く見て
きた漱石は好ましく思い、惹かれるところがあったのかも知れない。
漱石の描く女性美を作品の中に探し、絵画にするとすれば、、、
「三四郎」のヒロイン、里見美禰子を、黒田清輝が描いたという設定の
架空の絵画・・・佐藤英育氏の推定試作
黄緑色の背景、団扇を顔の前にかざした意志の強そうなまなざしの
浴衣の美人。
「三四郎」を改めて読むときは、美禰子のイメージは、もうこの女性に
なりそうである。 絵葉書になっていればすぐに購入したいとグッズ売り
場に急いだが、光溢れながらも緑の涼しげなこの試作画を、家に帰って
ゆっくり眺めたい、という希望は叶えられなかった。 とても残念!
さて、そろそろ文豪漱石さんと舟木さんとのつながりを手繰っていかなけ
れば・・。 もちろん「俺は坊ちゃん」だ~い。
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