ラ フ ァ エ ロ 展
~ ルネサンスの優美、 500年目の初来日。 ~
グラツィア
国立西洋美術館
2013.3.2(土)~6.2(日)
「ラファエロ展」が、昨日閉幕した。
3ヶ月の会期中の入場者数は約51万3千人。
日本初公開「大公の聖母」をメインとして、ラファエロの作品21点、
関連作家の絵画などを加えた61点の展示。
会期も残り少なくなった5月21日(火)、大混雑にならないうちにと
舟友さんをお誘いして、上野の森でしばしルネサンスの世界に浸って
きた。改札口を出たところから、すでに西洋美術館へ向かう人並みは
途切れることなく続いていたけれど、、。
”聖母子の画家” の代表作≪大公の聖母≫が日本初公開
イタリア・ルネサンスを完成させた画家、ラファエロ・サンツッィオ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、ルネサンスの三大巨匠とも称される
ラファエロは、彼の生きた約500年前から現代に至るまで、絶大な人気を誇ってきました。
しかし、作品の貴重さゆえ、大規模な展覧会の開催は、ヨーロッパにおいてもこれまで
極めてまれでした。 2013年春、ついに日本でラファエロ展が実現します。 (中略) ~~様々な側面からラファエロの魅力に迫ります。
ルネサンスの優美に満ちた、まさに夢の展覧会、いよいよ開幕です。
(「ラファエロ展」パンフレットより)
≪聖家族と子羊≫ 1507年 油彩 プラド美術館
≪聖セバンティアヌス≫ 1501~02年頃 油彩 カッラーラ絵画館
≪ 大公の聖母 ≫
1505~06年頃 油彩 フィレンツェ・パラティーナ美術館
聖母マリアとキリストを愛らしく描いたことから”聖母子の画家” として
知られるラファエロ。 本展では最高傑作のひとつ≪ 大公の聖母 ≫ が初めて公開されます。
その名は、18世紀にトスカーナ大公(現トスカーナ州の前身国家の君主) であったハプスブルグ家のフェルディナンド3世が愛蔵し、決して自分の
手元から離さなかったことに由来します。 ラファエロの魅力が凝縮した名画です。 (同パンフレットより)
上二つの作品を挟んだ時期に描かれた ≪ 大公の聖母 ≫
幼児のキリストは限りなく愛くるしく、聖母の眼差しは穏かで限りなく優しい。
男性の聖職者ですら、聖母のような面差し、眼差しのように思える。
大公は、亡命先にもこの作品を伴い、生涯にわたって寝室に飾っていたという ことである。
君主として、心休まる日々などなかったであろうトスカーナ大公の心を、それほど
までに捉え、安らぎを与えたラファエロの聖母子像。
大公を魅了した一番の理由は何だろう。
ヨーロッパの人々にとって、聖母マリアやイエス・キリストがどれほどのもので
あるのか、ともかくとてつもない大きさ、強さで人々の心の中を占めているのだろう、
としか言えないのだが、≪ 大公の聖母 ≫に 理屈ぬきに真っ先に感じるのは、
やはり ”母性”だろうか。
全てを包みこみ、認め、愛する包容力。
見返りを求めない無償の愛。
柔らかさ、暖かさ、親愛の情、、。
いつまでもふわふわと包まれていたい居心地の良さ、
何処までもこうであってほしい気高さへの願望、理想。
その聖母マリアの肌はあくまで色白できめ細かく、頬はほんのり薔薇色に染まる。
左手はわが子をしっかり支えながらも、そっと添えた右手の指の柔らかさ。 500年経っているというのに、失われていないふくよかさ、 豊かさの質感。
この画の中に、欲しいもの、こうであってほしいものが全て、優しく静かに備わって
いる・・・聖母マリアの慈愛に満ちた眼差しからは、大公に慰めと励ましが届き、それは やがて心の支えとなり、亡命の身でありながらも明日を生きる希望の糧となったのだろ う。
たとえ君主であり、王様であったとしても、心を慰められるのはマリア様の愛。
大公が愛したのは、神の子の母であるという"聖母マリア"なのか、それとも、
慈愛溢れる女性、一人の母親としてのマリアなのか。
おそらく渾然一体となって区別はつかないのだろうが、理屈抜きの母の愛って、やはり
凄い力を持っているのかも知れない、、、と思うと、 舟木さんの健気な少年時代が、
ここでも頭をかすめていった。
人込みで、解説文もあまり時間を
かけては読めなかったため、グッズ
売り場でミニ図録その他を購入した。
アップになった聖母マリアの眼差しを
じっくり見ると、心なしか淋しさが漂っている
ような感じを受けた。
ラファエロの描く聖母マリアは、
豊かなだけでも、柔らかいだけでも、優しい だけでもない、気高くはあるが人間マリア様 でもあるように思えてきた。
ああ、だからこそルネサンスなんだ。
ミケランジェロも、ダ・ヴィンチも、ラファエロも、同時代に生きたルネサンスは、
壮大に、高らかに人間賛歌が称えられた時代だった。
中世の神の呪縛から解き放たれていこうとするイタリアの人々の絵画の世界に、
しばし身を置きながら巡った後、せっかくだからと、常設展の鑑賞へと向かって行った。
( 続 く )