舟木さんゆかりの江戸巡り
~ 両国 ~
JR御茶ノ水駅から総武線でJR両国駅へ向かう。
神田明神~駿河台(大久保彦左衛門屋敷跡)~両国(吉良邸跡)のコースは
銭形平次~一心太助~矢頭右衛門七の流れである。
両国といえば、もちろん
相撲の街であり、国技
館、江戸東京博物館で
ある。 しかし、両国ゆ
かりの文学者も多いよ
うだ。
歴史上おなじみの有名
どころの名前もある。
・船橋聖一生誕の地
・斉藤緑雨の住居跡
・芥川龍之介生育の地
・芥川龍之介文学碑
・勝海舟生誕の地
・小林一茶の旧居跡
<JR両国駅前の案内図より>
ただし、今回目指すは本所松坂町公園になっているという吉良邸跡である。
赤穂藩四十七士が討ち入った吉良上野介の屋敷跡。
17歳の矢頭右衛門七も浅野家のため、この屋敷に討ち入ったのだ。
現在の住所は
墨田区
両国3丁目
13番9号
「赤穂義士遺蹟
吉良邸跡」
の石碑
公園の片側を囲
む白壁と海鼠壁
が美しい
ここをくぐって
中へ入ると、、
狭いながら、
公園となって
いる。
すぐに
「松坂稲荷大明神」 が見える。
史蹟公園の中の石碑
「追慕
吉良上野介義央公」
と刻まれている。
左の立て札は
「松坂稲荷大明神由来」で
吉良邸にあった稲荷社の説明
が記されている。
8,400㎡もあったといわれる広大な上屋敷も、今では小さな公園となって「吉良邸跡」の石碑
だけが立っている。 しかも昭和9年、地元町会有志が旧邸跡の一画を購入して史跡公園と
して東京市に寄付し、墨田区に移管されたのは昭和25年ということ。
歴史上の事件をたどる上で欠かせない舞台となった討ち入りの屋敷跡も、地元の方の大変
な尽力で後世に伝わり、だから今私達が訪ねられるということだ。
「忠臣蔵」では、どうしても悪役にされてしまう吉良家側。
しかし近年、播州赤穂藩浅野家側と手打ちがなされたという話も聞くのだが。
私達も、映画で、演劇で充分「忠臣蔵」を楽しませてもらってきた。
お家断絶の主君の無念を晴らそうとする家臣の忠義、
若くして主君のために散らす命、
47のそれぞれのドラマに感情を揺さぶられてきた。
♪ 討たれるものも 討つものも ともにこの世は夢の夢
♪ 勝利のあとの哀しみを 抱いて見返る 吉良屋敷
17歳の命を散らす矢頭右衛門七を歌った哀切な歌 「右衛門七討ち入り」
花咲く乙女達は、歌にドラマに、19歳の舟木一夫に思いっきり感情移入した。
年配の世代の方なら、又それなりに。
それを、もう一人の主役吉良上野介は泉下でどう思って見てきただろう。
”おいおい、それじゃあ、あまりに一方的過ぎるではないか、オレの言い分も聞け”
と歯軋りしているかも知れない、と思ったりする。
「 しかし、吉良様、いつの世でも、義に生き、時代に散る命には理屈ぬきに悲しみが付きまとうものです。
それが若ければなおのこと、江戸でも、昭和でも同じでした。」
帰りに
JR両国駅前で
とても愉快な
看板を見つけ
た。
横綱と一緒にい るのは
江戸のヒーロー
銭形平次と
一心太助
居酒屋さんの
看板だ。
神田明神~駿河台~両国とやって来た、舟木さんゆかりの江戸巡りの今日の仕上げは、
この居酒屋さんで決まり!
「銭形平次」と「一心太助」の提灯が踊る大江戸八百八町を模した店内で、束の間の江戸
情緒を味わってきた。
さて、次はどこを巡ってこようか?
舟木さんゆかりの江戸巡り、当分楽しめそうである。