「明日に向かって走れ!」~2009コンサートより~

作詞: 吉岡オサム
作曲: 小谷 充
1973年(昭和48年)4月 「少年いろの空」B面として発売
「明日に向かって走れ!」
昭和48年といえば、前年に引き続き、やはり世の中はざわついていた。
活気はあったかも知れないが、春闘ゼネストやら、第1次オイルショックでトイレットペーパー
騒ぎが起こったのもこの年だし、川端康成氏の不幸な最期、金大中氏拉致事件など大きな
事件も多く、騒然とした年だった。
歌謡界は、この頃になると天地真理、南沙織、山口百恵さんなどが登場し、男性歌手ではもう
新御三家の時代が来ていた。フォークの流れも依然として大きくなっていたし、「かぐや姫」や
「チューリップ」、「グレープ」や小椋佳さんだってこのころ聴いていたような記憶がある。流行って
いたのは山本リンダの「狙い撃ち」、チェリッシュ「てんとう虫のサンバ」、いわゆる歌謡曲も健在で、
渡哲也「くちなしの花」など。

そんな慌ただしい年に舟木さんのシングル新曲は
1月 「都井岬旅情」
4月 「少年いろの空」
7月 「親不孝通り」
9月 「サンチャゴの鐘」
だった。
正直言って、ファンはこの時代に、舟木さんにこのような曲を求めていた
のだろうか、これで売れるのだろうか、というような企画である。
ところがアルバム「宵待草/竹久夢二の郷愁」が6月に発売されている。 想い出通りさんのブログでご紹介いただいたように、このアルバムは
大変な意欲作である。
夢二なのか舟木さんなのかと錯覚するほどに、夢二になりきった舟木
さんの、渾身の ” 竹久夢二の世界 ” が、あんな騒然とした世に発売
された。
当時、「絶唱」でレコード大賞歌唱賞を受賞して以来、「歌が迷路に入
りこんでいた 」 と言われるくらいにご自分の歌に迷い、デビュー以来
休養らしい 休養もとれず、ともかく疲れ果てていた舟木さんである。
そんな年に4枚の新曲が発売され、素晴らしいアルバムが制作され
た。
ご自分の歌に迷っていたといわれる舟木さんだが、「明日に向かって 走れ!」 では、あくまで明るく優しく、”明日”を信じて走ろうと呼びかけ
る。 まるで目の前にいる聴き手に語ってくれるようにして。
一転、「宵待草」では、人を恋し求めてやまない夢二の詩の世界を、
彼の歌唱力を存分に駆使して表現し尽くしていく。
この歌唱の幅の広さは、舟木さんならではと思う。

しかし、これらの新曲やアルバムを、当時、ファンは買えただろうか?
お互い若い身の上、結婚していれば、子育ても家計の遣り繰りもある。
働いていても、LPなどすぐには買えなかったかも知れない。
学生ならなおのことである。
今まで舟木さんを支えてきた聴き手の側に、あらゆる意味で舟木さんの
新譜を聴きたいという思いや、「夢二ワールド」を味わうだけの余裕が
なかったような気がする。流行ったのは、舟木さんがさし出す世界とは
別の世界の曲であった。
「宵待草/竹久夢二の郷愁」
それゆえに、あの頃舟木さんと私たちにとっての関係についてのみ言えば、お互い
”不幸の時代”だった、といえるのではないだろうか。
わが身を振り返っても、生活の中から舟木さんは消えてしまい、消息不明になっていた。
もっとインパクトのある音楽がどこかにあるものと、探していたような気がする。
舟木さんとかつてのファンが、お互いに安否の確認をし、再会を果たして”幸せな時代”が
始まるのは、もっともっと後のことになる。
ごくごく最近の復活ファンなら、さらに長い年月がかかってしまった。
舟木さんと私たちの、熱い想いを共有しあえるせっかくの”幸せな再会”が、このままずっと、
ずっと続いてくれることを願うばかりの50周年である。