グローバル社会と柔の心/山下泰裕 09139 | 年間365冊×今年20年目 合氣道場主 兼 投資会社・コンサル会社 オーナー社長 兼 グロービス経営大学院准教授による読書日記

グローバル社会と柔の心/山下泰裕 09139

グローバル社会と柔の心/山下泰裕

★★★★★


船川淳志さんの

「グローバルリーダーのマインドとスキル」

の合宿中に紹介されていた本。


「非売品」とのことで

どうして手に入れようか、と思案に暮れていたら、

グロービスのライブラリで見つける。

背表紙が英語で「YAWARA」と書いてあった。

これでは容易に見つけられない筈だ。。。


執念が実った。

小さくガッツポーズをしつつ、

早速借りてくる。


実に素晴らしい内容。


なかなか入手できないことだし、

少々多めに引用したい。


 教え子が日本武道館で勝てない


 さて、私が多方面に提案し、

 推進している活動のいくつかをご紹介してきましたが、

 私自身まだまだ、いろいろな方からたくさんのことを学び、

 吸収し、成長しなければならないと思っています。


 <中略>


 もうひとつのきっかけとなったのは、日本武道館です。

 私は選手時代にこの会場で最も活躍させていただいたのですが、

 教え子たちがなぜか武道館に限って優勝できない。

 やがて、ふと氣がつきました。

 武道館には、私が勝つことで

 「山下に負けたからチャンピオンになれなかった」と夢破れた人たちの

 悔しさの念がこもっているのかもしれない。

 当時の相手たちが、

 「昔、山下に敗れはしたが、あいつと対戦できて満足だ」

 と思ってくれるほどの人間に成長できれば、

 日本武道館の悔しさの念も消えるのではないだろうか。

 

 そして、ある時点から私の中には、

 「自分が勝つことで誰かの夢を砕いたり、

 悲しませたりする世界からは、もう卒業したい」

 という思いが芽生えてきたことも事実です、。

 今はただ、自分が成長し、目標を達成することで誰も苦しめず、

 むしろ多くの人に喜んでもらえるような仕事をしていきたい。

 そんなふうに考えています。



・・・器の大きさ、にもう脱帽するしかない。

 今はただ、自分が成長し、目標を達成することで誰も苦しめず、

 むしろ多くの人に喜んでもらえるような仕事をしていきたい。


もし、あるとすれば、理想の仕事だ。

そのようなものを一生の仕事と出来たならば、

どれほど輝かしい人生となるだろうか。

それを、真っすぐとらえて真っすぐ語る山下泰裕先生。



 穴ぼこだらけの自分を認める


 「まだまだ成長せねば」という私に、

 「山下さんは謙虚なんですね」とおっしゃる方がいます。

 しかし、それは正しくありません。

 なぜなら、「他人に認められる人間になりたい」

 という動機があることも否定できないからです。


 また、私には、言わなくていいことまで言ってしまう癖があるんです。

 以前はよく自己嫌悪に陥り、「やっぱり俺はだめな人間だ」と

 ふさぎこむこともありました。


 うっかり余計なこと口走っても、必ずしも自分では氣づきません。

 私の場合、一番はっきりと指摘してくれるのは妻ですが(笑)

 ふだんは秘書たち二人にこう頼んであります。

 「もし俺の言動に不遜が感じられたら、

  申し訳ないけど、三回までは教えてくれ。

  俺も人間ができていないからムッとするかもしれない。

  でも少し経てば『どうもありがとう』って、たぶん言えると思う。

  三回も指摘して変わらんかったら、責任は全部俺にある」

 二人とも「わかりました。それは任せてください」と言ってくれてます。

 

 でも生身の人間にはどうしても煩悩があるでしょう。

 一生、聖人君子にはなれやしない。

 私なんか我欲は強いし、自己中心的なときもある。


 かといって、無理をして自分を飾り、

 見かけをよくしようとすれば、ものすごく疲れます。

 そんなことにエネルギーを費やすのはやめにして、

 まずは欠点だらけの自分を認め、許し、そして愛す。

 そこから、少しでも成長していこう、

 より良くなっていこうと考えた方がいい。

 そういう思考ができるようになってからというもの、

 肩ひじ張らずに生きられるようになりました。

 自己嫌悪に陥ることも、ほとんどなくなったように思えます。



・・・山下先生、格好良すぎます。。。

秘書にそこまで言えるなんて、凄すぎます。

あなたほどの人がここまで自分の弱さ脆さをさらけ出すとは。。。

そしてあくなき成長への執念。

山下泰裕先生を以ってして、歩むことを止めない。



 これからが人生の本番


 <中略>


 実は引退後も、選手だった頃と同じ意識で

 いるような氣がするんです。

 引退とともに新たなスタートを切って20余年、

 いつしか再び上ばかりを見つづけている。

 だから

 「これからが俺の人生の本番だ。

  生まれて今日までは助走だったんだ」

 と考えるようにしています。


 今年50歳になったのを機に、さまざまなことが頭をよぎります。

 そろそろ仕事を絞っていこうとか、これまでやってきたことを整理しようとか、

 若い人にバトンタッチすることを少しずつ考えなければとか・・・

 でも、やはり、「まだまだこれからだ」という氣持ちが強いんですね。


 こんなふうに、今なお現役の頃と

 変わらぬスタンスで人生と向き合っていられる。

 そう思うにつけ、自分で自分のことがなんだかとてもうれしくなってきます。

 これからも一生、次々と新しい目標を立てては、

 挑戦を続けたい。

 私は今、心からそう思ってます。



オリンピックで金メダルをとったのも、単なる「助走」・・・。


全く嫌味に聞こえない。

ああ、きっと本心から真心からそう仰っているんだろうなぁ、

と思わせる何かが、山下泰裕先生には、ある。



 「山下さんは、平成の嘉納治五郎師範ですね」

 対談中、山下泰裕さんのお話を伺っていた私はこう率直な感想を述べた。


 <中略>


 「日本の柔道」ではなく「世界の柔道」を広めたい。

 柔道によって育てられた自分が、

 今度は柔道を通じた心身の育成を手伝いたい。

 そう力説する山下さんの姿が嘉納師範に

 重なって見えたという冒頭のことばは、

 まさに私の正直な思いから出たものであった。


 「とんでもない」

 山下さんは手をふって否定しながら、続けた。

 「ただ、自分が死ぬときに嘉納師範が迎えに来てくれて、

 『お、君が山下君か。柔道を世界に広めてくれてありがとう』

 そう言ってもらえることが願いです。」


 そのときの山下さんの志の高さと純粋さに打たれたように

 居合わせた者が言葉を失ったことが心に残っている。


・・・同じ様に武道を志す人間として

自分にこの志の高さや純粋さの欠片でもあったか。

私は私の為だけの武道、合氣道でしかなかった。

志がなければただの「人殺しの武器」でしかないかもしれない。



 山下さんはご自身がセミナーなどのゲスト講師として呼ばれた時、

 時間が許す限り参加者同様ほかの講師の話も受講すると聞いていた。

 実際、かつて午後2時からお話をお願いした時も、

 やはり午前10時に会場にいらして講演を聞いていた。

 これは「自分自身も学びたいから」という理由からだ。

 

 今回の対談で、

 「一体、山下さんはいつ頃からこのような習慣を身につけられたのか?」

  と尋ねてみると、選手を引退して自分が大学で

  教える立場になってからだという。


 「教育というのは、ものすごく影響力がある。

  こんな自分が教えていいのだろうか?

  自分自身がもっともっと学んで成長しなければ、

  学生がかわいそうでしょう!

  それに氣付いてから、

  いろいろな機会をとらえて勉強するようになりました」


 「山下さんは本当の意味での教育者、つまり共育者ですね」

 と私は述べた。



私も部下や後輩をいろいろな場で教える立場。


山下泰裕先生でさえ、この心構えを崩さない。

まして、私ごときでは。


仕事に武道に学問に更に精進を続ければ、

自分が50歳の頃にはどこまでいけるのだろう。

目指すべき高みの高さに目眩がした。