体罰問題
前回、石川さんが社会の中における力構造を述べてくださっていらっしゃいますので、
私の方は大人と子どもにおける状況での一考察とします。
体罰問題
これは、教師ならパワハラも含まれますよね。
家庭であれば、「不適切な養育」の中でも、
「虐待」といわれるものになる要素が多くなってきます。
いずれも教師と子ども、親と子どもの間に
深い信頼関係がある時には
場合によっては壁を乗り越える作用をもたらすかもしれません。
しかし、多くの場合は力を振るわれる側は、
大きな無力感や相手に対する失望、人間不信などに陥り、
自己肯定感、自尊感情を傷つけられることになるように感じます。
でも、教師も親も、
「あなたのため」
との言い分がありそうで、
確かに部分的な心情にその存在を否定するものではありませんが、
意図に反して前述のように子どもの心を傷つける結果を招いてしまいます。
では、なぜこのような事態に陥るのか。
自分の人生の主役は自分をおいて他には誰もいません。
なので、本人からみたら、周囲のアクターは全て脇役です。
その脇役の役割は何かと言えば、
『本人のためにどのような貢献ができるか?』
に尽きるはずです。
しかし、その脇役であるはずのひとが自分の人生をその上に重ねてしまい、
自分の人生の配下にしてしまうことが問題なのではないでしょうか。
これは大人と子ども間の体罰、虐待のみならず、
子ども間、社会におけるイジメにも通ずると思います。
それぞれはみな自分自身を誠実に自己実現することで社会に貢献し、
他者に対しても尊重と誠実なサポート役を果たすならば、
それぞれが自己の意思によって自らの価値を最大に生かすことができ、
社会での支配的な関係の問題は相当程度軽微なものになるのではないでしょうか
中野