再帰的近代化論
本日、寒いゆえ駅からの家路、「霰のシャワー」となり、
初めて霰をさくさくと踏みながら傘にあたる霰音を楽しんで思わぬ経験でした。
しかし、豪雪に見舞われ、家屋が孤立してしまう懸念の地域もあるようです。
皆様が無事ななか、この寒波が過ぎ去ってほしいと思います。
さて、今度のSC研究会のテーマの一つ、初めて耳にする
「再帰的近代化論」
とは、何ぞや
ということで、当日の話をより深く理解できるために基礎知識用の資料のピックアップをWeb上で行ったところ、
大学教授のブログにて解説を覘くことができました。
で、概要把握したところ、
「科学は自ら生み出したリスクに対応して転換してゆく」
ということのようです。
そして、自然科学だけではなく社会科学にも「従来の学問と実践もしくは公共圏とのかかわりにおいて境界線が引きなおされざるを得ないのであれば変容を迫られる」ということで再帰的近代化に当てはまるものと述べています。
ここで、現代の新しいリスクは近代が失敗したからではなく、近代化が成功した結果として生じたものというところが気にかかりました。
危機管理意識や態勢は近代化の前には無用とされているかのようだと考えられるからです。
ウルリヒ・ベックについて、
かつての、理論と実践が境界づけられる「第一の(単純化の)科学化」から、科学の発展にともなう副次的結果としてのリスクが生じ、自己の生み出したリスクを対象とすると同時に自らの存立基盤自体を問い直すことをも含む「第二の(再帰的な)科学化」の段階に達するのだ
と言うことで、
「再帰的近代では個人と制度の決定が新たな境界線を引きなおす実践となり、その境界もまた近代化のダイナミクスの中でつねに更新されてゆく」
とあります。これ自体は、事態に対する問題解決がつねに図れる用意があるという発展的見解とも取れます。
本筋からそれるのですが、T教授の言う文章中に
『自然も近代化し尽くされ、「エコロジーの危機」が叫ばれている』
とあるのですが、「自然が近代化される」とは、どのようなことだろうか、、、というところでつまづきました。
自然自体の近代化がなされたとすれば、それはおおよそ人間が自然破壊した結果にともなう現象
-水質・空気・土壌などの汚染、用途や地形を変える造作等により生じる生態系の変化や地球の温暖化等の自然現象といえましょう。
これは人間主導の人間都合のための行為により自然は過去とは違う様相になっているのであり、
「自然も近代化した」とは、自然を意のままに支配したということの意図のほか、自然の意思であるかのような含意が感じられ、いささか傲慢な言葉に思えてしまいました。
「エコロジーの危機」
とおっしゃっているので、もちろん上記は重箱の隅的な物言いだと言うことも理解してはいるのですが
ようはまだまだ脈絡ある把握もできていないという事態。
脱線状態で本日ここまで、悪しからず
研究会当日までになんとか概要理解ができるんだろうか。。。
まずは自分で翻訳本をよんでみなきゃ話がはじまらなそう
なお、大変失礼ながら、当該教授の主張される「再帰的近代化」については、
私自身の能力不足からこの場では触れません。
m(_ _ )m
中野