三井氏論文「旧万世橋駅 (交通博物館) 跡地計画」 Part.4 に寄せて。
6日の日曜日、横浜に用があり、
せっかくここまで行くのだから。。。と、かねてより気になっていた、
瑞泉寺に工房を持つ宮大工、松本棟梁のところに訪ねようと思いました。
本来の用もそこそこに、鎌倉駅から鎌倉宮行きのバスに乗りました。
車がすれ違うのも厳しい道、左右に点在する興味の尽きない個店の数々を眺めながら、終点まで10~15分ほど。
もったいなくも、鎌倉宮へのお参りは次へ送り、
更に10~15分ほど歩いて、瑞泉寺に到着です。
瑞泉寺もこれまた由緒あるお寺ですが、詳しくは丁寧な説明サイトが多々ありますのでそちらを参照いただければ幸いです。
松本棟梁は、突然の訪問にもかかわらず、にこやかに迎え入れてくださり、
茶釜が沸いている工房に通してくださいました。
現代的な高気密な建築ではない工房ですが、
茶釜の沸くその環境がとても暖かく、
いささか風の強い時間ではありましたが、梅の生けてあるそのお部屋で寒さを感じることもなく
さまざまな木造建築の継ぎ手の工法見本などが並ぶお部屋をゆったりと過ごさせていただきました。
棟梁が点ててくださったお茶を楽しみ(ただし、お作法抜きです!!!)、
その後、奥様としばし歓談を。
松本社寺建設のホームページ
のほかに、ご自身のブログを担当されている奥様。
伝統的な建築のあれやこれやと、私達の日常との接点を
何気ない表現で身近に感じさせてくださり、
それはまた、とっても簡潔でありながらもさまざまな対象への愛情に満ちています。
http://d.hatena.ne.jp/shajimatsu/
そんな奥様が、当方のブログを時折チェックしてくださっておいでとのこと、、
感動です
で、先週火曜日の三井氏論文を取り上げたテーマについて、
やはり、建築物が日本本来の文化的存在感を見失ってしまったのは、戦争のつめ痕と言えるのかもしれない
と言う見解がでました。
私たちは、引継ぎ、伝えるべき日本の文化を終戦に置き去りにしてしまったのかもしれないと。
そんな文化の話から、洋服についての発展もありました。
以前、私が、商売柄
「スーツのボタンを変えるだけでも、服の雰囲気やグレードまでも変わりうる」
と言った話をしたらしく、
素直な奥様は、そういえばご自分のスーツのボタンがどうも気になっていたと、お店に相談にいらしたとのこと。
そのスーツは、釦を変えて、いまやすっかりお気に入りの一着となったとのことv。
考えてみれば、私達の今の生活は、
お仕着せにあてがわれた品物に埋め尽くされ、自分にとってのかけがえのない”これ!!”と言う意思決定を必要としません。
自分の感性に基づく工夫や取り組みをすることを省いてしまっている。
バブル期の大量生産、大量消費時代から見れば、
今現在、いくらかそのあたりの違いが生じてきつつあると感じられますが、
昨今の教育や生活環境の中に育った人は
工夫やチャレンジの大前提となる基礎知識を得る機会や体験が極めて乏しいと言えるかもしれません。
そんなことがめぐりめぐって、現代の若者のパワーを奪っているのかも。
そんな話から、神田ラガンのオーナー氏との話題にリンクしました。
日本における洋服文化について。
1853年のペリーの来航が日本における洋服文化の始まりとすれば、
その歴史はたかだか150年余。
すっかり商業ベースにはまり、
次々に移り変わることに乗じて安心感を抱く日本の洋服の流行のあり方。
雑誌の作り上げる効果かもしれませんが、
何か違うとオーナー氏もおっしゃっておられました。
神田ラガンの基幹理念、「残る」もの。
母体の吉祥寺カナルの商品についてのファンのコメントをみたことがあります。
憧れの一着をめぐって、ある女性の
「購入するまでになくなってしまうのではないか?」
との懸念に対して、
「これは、定番商品ですから、なくなればまた作ります
慌てず、ご購入できる日をお待ちしていますよ」
と言ったご返答をされたのではなかったかと思います。
神田ラガンさんのおっしゃる「残る」ことには、
以前もお話しましたが、お客様に支持していただくことによって、
店の存続のみならず、ステークホルダー全体が残ることまでを含めています。
今年の流行が過ぎ去るから、見切りにして来年の商品を作る
と言うことを良しとせず、
価値ある商品の提供によって、本当に手にしてうれしい一着をお求めいただくことは、
お客様を中心にそれを取り巻く全体の喜びとなります。
このことが、松本棟梁の奥様とのお話によって改めて確認され、
私自身、このところ暖めていたプランを実行してみようと決心するに至りました。
あ、これは、論文のほうではなくって、稼業のほうで
中野