陰徳
すっかりおさぼりしてしまいまして、申し訳ありません。
先週末、身内の引越し手伝いがあまりにも過酷で、それをきっかけに
あろうことか、この中野が飲食摂取の気力喪失状態となり、
とはいえ、救急車のお世話になるのは避けるべきと思って、脱水状態を避けるべく、スポーツ飲料だけはからだに入れて。。。との事態から、とにかく休むこととし、昨日よりようやく不調からの脱却を図っていた次第です。
業務的な日常はとにかく通常通りこなしておりましたが、本日より徐々に生活の完全復活と参りたいと思います。
ということで、タイムリーネタをひとつ。
昨今、明るく巷をにぎわしてくださっている日本全国の伊達直人さんや矢吹丈さんたち。
この話題に触れるにつけ、昨年受講した北原先生の「CSR論」を思い出します。
「もともと、企業や立場のある方の地域活動や寄付行為など、業務外の行動についてはあえて、「こんなに善い事やってます!!」などといった広告などはせず、人知れず行っていた」
のだということで、これこそ、海外文化とは違う、
日本人的美徳感覚なのではないかなーと思えていました。
なので、この一連の寄付行為をみるにつけ、
昨今標準言語になりつつある「ボランティア」はどうもなじまないけれど、この方法なら、自分にも社会貢献ができる!!と思われる年代の方々の気持ちの表し方?とも受け取れ、その対象となっている社会的養育の中に育つお子様たちにとっても、社会からの疎外感を和らげる思い遣りの一つの方法と、期待感があります。
しかし、昨今、企業は社会の中にあり、社会とともに生き続けることが必要となると、これはまた別問題であるとも思っていました。
私たちは、収益のみを目的とするために児童労働を見ない振りしたり環境汚染を誘発するような企業ではなく、
大きな視野にたって人、社会や地球を大切にする理念の企業に成長してほしい。
ならば、ある程度の商品の内容や価格に差があっても、残ってほしい企業の商品を選択するための情報は提供されるべきで、
消費者の選択判断を助けるためにもどのような活動を行っているのかを目に見える形で公表することは、企業の「宣伝活動」と言うだけではなく「義務」とさえいえるのではないでしょうか。
ただ、私たちは発信された情報を鵜呑みにするのではなく、その実態を把握する努力をし、その行方にも興味を及ぼすという必要が生じるのではないかとも思います。
昨日新聞記事だったか、タイガーマスク現象(勝手に命名しました)に対して「一過性の自己満足で終わってしまう懸念」
といった表現もありましたが、
これまで個人によるさまざまな方法の寄付行為がなかったわけではなく、架空のヒーローに名を借りたために、そのイメージを共有する多くの方々が賛同されたことに起因する話題性とも考えられます。
『現代社会の問題は、市場原理が社会構造にまで浸透するためにおきているひずみ』
といった表現がサンデル先生のお言葉にあったかと理解していますが、
私は、就業さえ思うに任せない、先行きの不安がぬぐえないこんな時代であっても、
控えめでもこのような気持ちを持っている方々が日本にはたくさんいるのだと言う市場原理とは別分野の現実の存在に、
表現手段のよしあしの議論はベツとして、安堵を感じる次第です。
そして、たとえ個人においての寄付行為に継続性が無かったとしても、
その行為に共感したほかのかたがたや、
寄付行為によってうれしい気持ちを抱いた経験を持ったお子様方などによる、
その正(善?)の連鎖がより多くのうれしい気持ちを生んでくれる行動に繋がっていってくれるのではないでしょうか。
中野