人間、性善説?性悪説?
皆さんは、人間は本来よい心を持っていて、成長とともによからぬ要素を帯びるのか、
それとも、人は元来よからぬ心を持っていて、成長の過程において道徳を身につけるのか、
どちらだとお考えでしょうか?
私は、どちらでもなく、「人間、怠慢説」です。
人はできれば楽なほうを選びたい。
世にある犯罪を見ると、
泥棒や強盗は、人が汗水たらして蓄積した成果を安易に横取りしようという行為、
詐欺や強姦は、人の気持ちを信頼により手に入れることを省き、自分の欲求だけを満たす行為、
不法投棄などは、正当な手続きを省き、自己の便宜のみをもくろむ行為、
政治の腐敗や企業での背信行為などは、本来全体の利益追求を俯瞰するべき立場にありながら、自らの本来業務を放棄・逸脱した、基本的に私利私欲が中心となる行為、
などに加え、
いじめは、誰かをターゲットにしてその他の者の見せかけの優越感を作り上げる卑劣な行為。
人は、犯罪になるかならないかはさて置いて、
よいことも、悪いことも、どちらもできます。
自分を律することができるのは自分だけであり、
自分自身がどのようなプライドを持っているかによって、
その発現が変わってくるのだと思います。
たとえば。緊急避難の例で挙げられる「カルネディアスの舟板」。
一枚の板は、一人分の命しか救えない。
そんな時、自分だけ助かることは法的に責を負わないと認められている。
しかし、自分ひとりが助かることでどのような展開が描けると考えるか、
人を見捨てる自分を良しとせずに一緒に海に沈んでゆくことを選ぶか、
そこには自分の命と人間性を顕すプライドとの優先順位の問題が存在します。
しかし、これらの場面はいずれも、本来成すべき業務に対し、
みずから遠ざけようとする意識が存在する、
人間怠慢説は、これらが、怠慢ゆえという考えであり、
元来人間にはこのような心理が深層に存在し、
それを律することができる人は「理性的な人、意思の強い人」といえます。
いや、そんなすごい哲学みたいなことを論じたかったのではなく、
単に、自分は火曜日ブログの更新をできなかったのは、
人間怠慢説によるものだといいたかっただけなのであり...
来週末のゼミ内発表を前に、火曜日は自習室が戸締めになるまでの5時間資料作りにパソコンを打ち続け、
疲労困憊で帰宅後のメールチェックもせずに、なんと夕飯も食べずに寝床になだれ込みました。
そして、今も市場戦略論の受講後に院の自習室に流れて僅かの時間でも入力して、帰宅は連日午前様という有様。
でも、まとめる見込みが立てられず、発表日を先延ばしにしていただけないか、
倒れる算段をしている心理の実態があります。
これが、「人間怠慢説」の発現です。
えッ?ただの性格だろうって?
ナカノ